もし逆に男性側が女性の寝床に無理矢理入ったら、これは立派な犯罪となる。私には介護をする人の気遣いと、される側の不安の両方が初めてわかった気がした。今や男性もセクハラをされるなどということが実際にあるとは夢にも思っていなかった。
もちろんケースバイケースで、さまざまな原因があるのはわかる。だが、照葉さんのお父様のケースは自信満々の女性たちが起こしやすい勘違いの一例ではなかったろうか。
そう考えていたら、昔からの友人のヒロコさんを思い出した。彼女の場合、モテ期は人生の前半ですべて使い切ってしまったようだ。20歳から35歳までのヒロコさんはなぜかモテた。特に美人ではないヒロコさんだが、「私はモテる。私は美人だ」という自信を持ったのは、ある出来事がきっかけだった。
27歳の時に知り合ったイケメン俳優さんと短い期間だが恋人関係になった。といっても彼には妻子がいたし、かなり年上だった。1カ月に1回くらい会うのはホテルの一室で、食事に行くこともなかった。
その上、関係は2年ほどで終わった。だから、あれは恋愛だったのかどうか、私は疑問に思う時もあるのだが、ヒロコさんはその時から今まで、ずっとそのイケメン俳優に夢中である。
「私が彼の妻に嫉妬するなんてあり得ないわよ。だって週刊誌に出ていた彼の妻って、まったく平凡な顔した女よ。あんな人と比べられても困るわよ」
「彼が私に惚れたのは頭がいいからだと思うの。ほら、すぐにマスコミに売り込んだりもしないし、安心して何でも話せるからでしょ。彼がもし独身になったら、きっと結婚してくれって私に言うんでしょうね」
こうした言葉を私は会うたびに聞かされて来た。でも、真剣な恋愛なら、もう少し付き合い方があるものだろう。それでも、私は何も言わなかった。彼女が大恋愛だと思い込んでいるのなら、そしてそれで幸せなら、他人が余計な口出しをする必要はないのだ。
「今までたくさんの男性に口説かれてプロポーズもされたけど、彼のことが心の底に引っ掛かっていたから、全部ふっちゃったの」とヒロコさんが言ったのは、彼女が53歳になった年だった。「あら、勿体ないじゃないの」と思わず私が口走ったら「だってあなた、普通の平凡な男なんて彼と比べたら枯葉みたいなものよ。なんの輝きもないもの。この私が結婚するなんてあり得ないわよ」と顎を上げて断言した。
有名人とたった2年ほど体の関係があった。それだけの事実がこれほど彼女に自信をつけさせてしまったのはなぜなのか。私は今でも回答が見出せない。
そもそも女にとって男とは何なのだろう。市場価値の高い男ほど貴重かといえば、そうとは限らない。むしろ年を取ったら平凡でも安定した生活がいかに有難いかに気づくものだ。
気がつかないと、とんでもなく見当違いな言動をしてしまうかもしれない。やたらな自信は持たないに越したことはないと、長年にわたって、モテない女として生きて来た私は、それだけは確信を持って言えるのである。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。