スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 夜遅く帰宅途中の路地を横切る動物の影。犬ではない、猫とも違う。あの動物はいったい……? こんなに住宅が立ち並んでいる大都会東京で、人目に触れないところにひっそりと暮らしている動物たちがいます。野村先生が愛おしむのは、そんな “慎ましい隣人” と対話する時間です。
一覧はこちら>> 第30回 東京ジャングル
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
仕事中に携帯の着信音が鳴った。郊外に住む友人からのコールだった。こんな昼間から珍しいなと思い電話に出てみると、彼はうわずった声で「先生助けてください、今、出先の駐車場で、うわ~っ、追いかけられて……ギャーー!」などとかなり切羽詰まった様子である。
「ははーん」と思い私はこう返した。
「それはね君、身から出た錆というものだよ、昨夜はだいぶ飲んだんだろうね」
「はっ?」
「だから酔った勢いでまた女の子に結婚しようとか言っちゃったんでしょ?」
「そうじゃなくて! 今回はそんなのじゃなくて! 変なケモノにつきまとわれてます!」
「なんと……ではクルマに避難してから動画を撮って送信してみて!」
ほどなくして送られてきたムービーを見てみるとその動物は……丸々太った身体、とがった鼻、白い顔、目の上を縦に走る黒い線……体重は10キロを超えるであろう立派な成体の “アナグマ” だった。
「こいつはレアだね」とうなる私。
アナグマはクマの一種ではなくユーラシア大陸と日本に生息する “イタチ” の仲間である。山の斜面などに横穴を掘って巣を作り、完全夜行性のため人目に触れることは滅多にないのだが……。
「もしもし、それはアナグマだよ。顎の力が強いから下手に手を出すと指を食いちぎられるよ。そのままやり過ごそう」
「わかりました、ひぃ~!」
ほどなくして “謎のケモノ” は何かをあきらめたらしく、トボトボと去っていったという。
それにしても、いくら自然の残る郊外でも東京にこんな動物が存在していたとは驚きである。しかも、真昼間に現れて人間を追うとは。動画を見る限りでは攻撃的な様子はなく、食べ物を欲しがっているか、そうでなければ好奇心からの行動のようだった。
ニホンアナグマとはやや遠縁になるが、アメリカにもアメリカアナグマがいる。このアナグマは異種であるコヨーテと共同戦線を張って獲物を狩るという。利口で視力とスピードに長けたコヨーテ、嗅覚が鋭く穴掘り名人のパワフルなアナグマ、両者がタッグを組めば餌にありつく成功率は単独行動時の3倍になるらしい。動物たちの生活様式も時代に即して変化するようだ。
たとえば、都内の雀たちは昔と違って馴れ馴れしく手からパンくずを食べたりもする。もしかしたら駐車場に現れたニホンアナグマも人間とビジネスパートナーになりたかったのかもしれない。
「ちょっとアナタ! このワイシャツの口紅は何よ!」
「俺は無実だよ。山田に聞けよ」
「アンタの友達なんてどうせ同じ穴のムジナでしょ!」
よくある夫婦の痴話喧嘩だが、この “ムジナ” こそアナグマのことである。アナグマの古巣にタヌキが住みつくことがあるために、そんな言い回しができたらしい。