18世紀の上流社会で行われていたビスポークの精神を、今なお受け継ぐ「ヴァシュロン・コンスタンタン」。ルーヴル美術館と手を携えて仕立てた1点もののウォッチは、これまでにないスケールの贅沢さ。文化遺産の保護と継承に力を注ぐメゾンの新たな挑戦とは。 取材・文/本間恵子(ジュエリー・時計ジャーナリスト)
前例のないオークションから始まったスペシャルオーダー
時計「レ・キャビノティエ ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ」(PG、ミニアチュールおよびグリザイユ・エナメル、アリゲーターストラップ、ケース径40㎜、自動巻き)ユニークピース/ヴァシュロン・コンスタンタン 世界最古の時計メゾン「ヴァシュロン・コンスタンタン」は、ルーヴル美術館とのパートナーシップによって完成させた特別なタイムピース「レ・キャビノティエ ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ」を発表しました。文字盤にあしらわれているのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた幻の壁画をルーベンスが再現した素描です。
「レ・キャビノティエ」は、顧客の要望に応えて時計をパーソナライズできるコレクション。ルーヴルの所蔵コレクションの中から選んだ美術品を文字盤に再現するという、魅惑的なプログラム“A Masterpiece on the Wrist(あなたの腕に傑作を)”がここからスタートします。
新プログラムに先だって行われたのは、ルーヴル美術館を支援するためのオークション「Bid for Louvre」です。2020年、ヴァシュロン・コンスタンタンはこのオークションに「レ・キャビノティエ」を出品。白熱したビッドの末に、匿名の個人が落札しました。
1755年創業のヴァシュロン・コンスタンタンと、1793年創設のルーヴル美術館。屈指の名門が手を取り合い、2019年からパートナーシップを締結。 実は、出品されたのは “まだ存在しない時計”。これから作る世界にたったひとつの時計でした。落札者は文字盤に描かれる絵をルーヴルの所蔵品から1点選ぶことができます。まるで夢のようなスペシャルオーダーです。
幸運な落札者が選んだのは『アンギアーリの戦い』でした。この素描を通常の展示室で探しても見ることはできません。劣化を防ぐため、照明や空調が管理された版画・素描閲覧室に収蔵されているからです。落札者はキュレーターとともに閲覧室に入り、歴史的な素描と対面。ルーヴル内のプライベートツアーやジュネーブのマニュファクチュールへの訪問も、落札者に許された特典だったのです。
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ヴァシュロン・コンスタンタンとルーブル美術館のパートナーシップについてもっと詳しく>>> 巨匠の手による迫真の描写をエナメルで再現
ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』(La lutte pour l'étendard de la Bataille d'Anghiari )。 『アンギアーリの戦い』は、フィレンツェにあるヴェッキオ宮殿の大広間を飾るため、ダ・ヴィンチが取り組んだ巨大な壁画。美術史における重要な作品でありながら、今なおミステリーに包まれた作品です。ダ・ヴィンチは壁画に並々ならぬ意欲を燃やしていましたが、新しい技法を試そうとして失敗し、絵の具が溶けて流れ出してしまったといいます。
失意のダ・ヴィンチは仕事の続行を断念して宮殿を去りました。その後、大広間は改修され、ジョルジョ・ヴァザーリが新たに描いた別の壁画で飾られたため、絵は永久に失われたと思われました。
約900度の高温で何度も焼成する高度なエナメル技法を採用。 ルーヴル美術館に残っているのは、後代のルーベンスの作。大広間の改修前に模写された素描に加筆した作品です。軍旗を奪い合い、騎馬兵が入り乱れる様子は真に迫り、オリジナルの壁画を精巧に模しているとされています。これを文字盤に再現するため、ヴァシュロン・コンスタンタンはグリザイユ・エナメルという古くから伝わる技法を用いることに決めました。
手がけるのは、30年もの間メゾンでエナメルの技術を磨き続ける職人。エナメルはガラス質の顔料から作った釉薬を高温で焼きつける技法で、炎の芸術とも呼ばれます。職人は細い面相筆だけでなく、ときにサボテンのトゲまで使って細密に模写し、絵つけして炉で焼成する作業を20回も繰り返したとのこと。
また、本来グリザイユ・エナメルは単色の釉薬だけ用いる技法ですが、今回はブラウン、グレーブラウンやセピアブラウン、クリームブラウンなど20もの色調を駆使し、リモージュ・ホワイトという白い釉薬でハイライトを強調。兵士や馬をより立体的に見せることに成功しています。
手彫りの彫金に込められたメッセージ
ケース背面に蓋があるデザインは、古い懐中時計に由来するスタイル。そこに“Cerca Trova”のカリグラフィが刻まれました。 そして時計の背面には、流麗な書体で彫金された“Cerca Trova”の文字。「探せ、されば見つからん」という意味のイタリア語ですが、ルーベンスの素描にないこの文字が、なぜ時計に刻まれたのでしょうか。
近年になって、ヴェッキオ宮殿のヴァザーリの壁画を詳しく調査したところ、巨大な壁画の上方に小さく“Cerca Trova”と描かれているのを研究者たちが発見。これはヴァザーリが密かに残したメッセージではないかと考えました。そこで壁の背後の空洞に内視鏡スコープを差し込んでみると、顔料の痕跡が見つかりました。ヴァザーリがダ・ヴィンチの絵を破壊せず、自らの壁画で覆い隠した可能性が浮上してきたのです。
ルーヴル美術館の東ファサードもローターに刻まれて。 ミステリアスな『アンギアーリの戦い』を克明に写し取った「レ・キャビノティエ」。正確な動きで時を刻み続ける「レ・キャビノティエ」のムーブメントは、メゾンの時計師たちが精魂込めて仕立てたもの。部品のひとつひとつにていねいに磨きがかけられ、ローターにはルーヴル美術館の東側ファサードも彫金されています。
“Cerca Trova”と彫られた時計ケースの裏蓋を開けると、そこに息づいているのは、精緻な美しさで鼓動するムーブメント。落札者はきっと、探し求めた美のありかを時計の内側に見いだしたに違いありません。“Cerca Trova”のメッセージで、背後に隠された名画のありかが暗示されたように──。
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制作の様子を動画でご紹介>>> ●お問い合わせ
ヴァシュロン・コンスタンタン
フリーダイヤル 0120-63-1755
URL:
https://www.vacheron-constantin.com/