これぞジュエリーの真髄 第6回(01) 帝政ロシアとファベルジェ 有川一三氏が主宰する「アルビオンアート」の歴史的な芸術品の数々を、宝石史研究家の山口 遼さんの解説でご紹介するジュエリー連載。第6回は、ロマノフ王朝時代とそこに生まれた天才をご紹介します。
前回の記事はこちら>> 帝政ロシアの栄華と矛盾
これまで世界各国で100軒以上の美術館、博物館を訪れましたが、そこに展示されているジュエリーや多くの美術品を見る度に不思議に思うことがあります。
それは、素晴らしい文化遺産を作った社会が、今日でいう公平な社会とは全くかけ離れた、とんでもない社会であったことです。
一握りの支配者が権力を握った独裁社会に近い国々で、素晴らしい美術品が生まれる。これほどの矛盾はありません。その矛盾が最も鮮明に残っているのがロマノフ王朝の帝政ロシアです。
1917年に革命が起きて王政が倒れるまで、国民のほとんどが農奴に近い悲惨な生活を送る一方、王家とそれを取り巻く貴族たちは豪奢な生活を送り、歴史上最高のジュエリーを作らせ、使ってきました。その凄さを覗いてみます。
ロマノフ王朝最後の皇帝であるニコライ2世とその家族は1917年に捕らえられ、歴代の皇帝の膨大なジュエリーも没収されます。1925年になると、外貨不足に悩まされた革命政府はジュエリーを競売にかけて外資を得ようと考えます。巨大なカタログが英、仏、露の三か国語で作られ、世界の富豪に送られたのです。
ところが直前に競売はキャンセルになり、カタログだけが残ったのです。ここでまた不思議な事が起きます。カタログに掲載されたジュエリーのうち、小さいものが市場に出たのです。理由は全く不明です。
その流出した数少ないロシアのクラウンジュエルが十数個、アルビオンアート・コレクションにあります。
1.[エカテリーナ2世 旧蔵]ロシアンクラウンジュエルズ
パールとダイヤモンドのブローチ
製作年代:1760年頃
製作国:ロシア2.[エカテリーナ2世 旧蔵]ロシアンクラウンジュエルズ
ダイヤモンドリボンチョーカーネックレス
製作年代:1760年以降
製作国:ロシア1と2は、天然真珠とダイヤモンドを使った花のブローチと、ダイヤモンドのリボンネックレス。いずれも1760年代から30年以上ロシアを支配した女帝エカテリーナ2世が使ったもの。
3.ロシアンクラウンジュエルズ
パールとダイヤモンドのスプレイブローチ
製作年代:1740年頃
製作国:ロシア4.ロシアンクラウンジュエルズ
ダイヤモンドフローラルスプレイブローチ
製作年代:1740~1760年頃
製作国:ロシア5.[エカテリーナ2世 旧蔵]ロシアンクラウンジュエルズ
ダイヤモンドとサファイアのスプレイブローチ
製作年代:1740~1770年頃
製作国:ロシア6.[エカテリーナ2世 旧蔵]ロシアンクラウンジュエルズ
ダイヤモンドフローラルスプレイブローチ
製作年代:1780年頃
製作国:ロシア3から6は小さなブローチで、どれもペアであるのが面白い。当時は一種の衣服のアップリケのように、あちこちに一度につけて使用したものでしょう。何とも凄いのは、これらがコレクションの中で一番小さい、目立たない作品だという事です。
7.[ボリーン 作]スターサファイアのブローチ
製作年代:1908~1917年
製作国:ロシア当時ロシアには、次回ご紹介する天才ファベルジェのほかに、素晴らしい宝石商がいました。そのひとり、ボリーンのブローチ7は、スターサファイアの輝きが見事です。
8.[コッホ 作]ロシアンクラウンジュエルズ
アクアマリンとダイヤモンドのティアラ
製作年代:1910年頃
製作国:ドイツロマノフ王家は、革命の足音が聞こえる頃になってもジュエリーを買い続けています。見事な色合いのアクアマリンとダイヤモンドを使ったティアラ8は1910年代にドイツのコッホという宝石店に作らせたもの。デザインはココシュニクと呼ばれるロシア農民の被り物を真似たもの、作りは英国のエドワーディアン様式に影響を受けたものでしょう。
9.[ヴュルテンベルク王室 旧蔵]ピンクトパーズとダイヤモンドのパリュール
製作年代:1810~1830年頃
製作国:ロシア(推定)ピンクトパーズの6点のジュエリーからなるパリュール9は、ロシア産の見事な宝石。これは皇帝が知人でもあり縁戚でもあったヴュルテンベルク王国の王妃に贈ったものではないかと考えられています。
ヴュルテンベルクは今のシュトゥットガルト近郊の小さな国ですが、それでもこれだけのジュエリーを贈るというのが皇帝の付き合い、そんな時代の話です。次回はロマノフ家に仕えた天才ファベルジェを見てみます。
監修・文/山口 遼 撮影/栗本 光
『家庭画報』2023年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。