石川・富山・ 福井「北陸」三都物語 第11回(全23回) 2024年に新幹線でつながる北陸3県は、その地の文化を発信する新たなスポットが次々と誕生し、今、最も注目を集めるエリアです。アート、伝統工芸、日本酒や美食処など、魅力溢れる夏の北陸をご案内します。
前回の記事はこちら>> 【富山】繰り返し訪ねたくなる、奥深き徳のある地
疎開の縁となった南砺市・福光の光徳寺にて、阿弥陀仏を表す「無量寿」という言葉を描いた棟方志功。寺には当地の自然風景や信仰心から影響を受けた作品が多く残されている。〔南砺(なんと)〕生誕120年・棟方志功
湧き出でるインスピレーションの里
6年半に及ぶ疎開生活が「世界のムナカタ」への礎に
明るい色彩で多くの福光の風景画を描いたが、この絵欄間のモデルとなった場所は不明。掛軸の不動明王像も無数に描いた画題だ。襖絵は、建物を建て替えた際に、水墨画家の岩崎巴人(はじん)が描いた。棟方志功が一家で終戦間近の1945年の4月に、富山県福光(現・南砺市)に疎開したことはあまり知られていません。
生誕地・青森は有名ですが、実は芸術家ムナカタを語るうえで、福光は重要な土地であり、6年半に及ぶ疎開生活の中で、膨大な作品を制作し、戦後の活躍地盤を作った地ともいえます。当地での足跡を志功の孫である石井頼子さんに伺いました。
南砺は、石川と岐阜の県境に面し、山を一つ越えれば城下町・金沢という立地。井波と城端(じょうはな)に浄土真宗の別院があるなど真宗王国富山の中でも信仰心の篤い土地柄で、この地域一帯で育まれてきた精神風土は「土徳(どとく)」という言葉で表されます。
「なぜ福光を選んだのかさまざまな理由がありますが、疎開前より、恩師の河井寛次郎の紹介で知り合った光徳寺の住職・高坂貫昭の招きで幾度か福光へ来訪。滞在中、思い切り筆を揮(ふる)うことができ、襖絵の大作『華厳松』もこのとき誕生しました。
また、寺と人とのつながりが強い生活にも心惹かれたことと思います。福光は野球バットの生産地のため、木が豊富にあると考えていましたが、実際は戦後の混乱期のため、思うように版木が手に入りませんでした。ですが苦肉の策で、端材を活かす版画本の制作に取り組むなど、質量ともに豊かな作品を生み出し、後の礎になりました」と語る石井さん。
ゆかりの地では、地元民と交流した逸話を数多く耳にします。また、棟方の子どもが通った学校の体育館に掲げられた作品など、今も随所に手がけたものが残っていることにも驚かされ、福光そのものが「文化への理解が高い土地」であることを実感します。
「福光駅から当時の住まいに至る2・5キロの道のりを描いた『法林経水焔巻(ほうりんきょうすいえんかん)』のように風光明媚な地を歩くもよし、ゆかりの地を巡って作品鑑賞するもよし、“徳”のある地の風土に触れるもよし、この地を巡ればなぜ棟方が疎開先と決めたのか理解できるような気がします」との言葉どおり、何度も訪れたくなる魅力に満ちた土地です。
石井 頼子さん(いしい・よりこ)棟方志功研究家。志功の長女・けようの長女で、志功にとっては初孫にあたる。志功と生活をともにし、制作風景に接しながら育つ。展覧会監修や著書多数。2020年より南砺市福光に拠点を置く。「法林経水焔巻」(個人蔵)の一部より。2巻、13メートルに及ぶ大作だ。「生誕120年 棟方志功展」では全編を展示する。民藝運動に共感した高坂貫昭住職の時代より世界・日本各地から蒐集した壺や鉢が並ぶ。蔵の展示室には「光徳」「華厳」の書も。福光時代に筆の面白さを知り、書の時代が始まったといわれている。襖絵の大作「華厳松」は棟方志功展に出品中。 生誕120年 棟方志功展
メイキング・オブ・ムナカタ
撮影/本誌・西山 航 取材・文/直江磨美 協力/とやま観光推進機構、南砺市観光協会 イラスト/駿高泰子
『家庭画報』2023年7月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。