気味が悪いかもしれないが、私は人の死に立ち会うことが多い。潰れたクルマのたった1センチしかない金属の隙間から上半身をくねらせ「俺、どうなっちゃったの?」と尋ねながら亡くなった方がいた。国道に転がるヘルメットの中に頭が丸ごと入っているのを見つけたこともある。先日は私の後続車が女性を轢いてしまい、すぐさま救助に向かったが手遅れだった。彼女は「目を覚ましたら病院のベッドだから安心しなさい」という私の言葉にうなずいて目を閉じ、腕の中で天に召された。
しかし、私の記憶の中で最も印象的な人の死は幼少時の出来事で、 “蟻地獄” と皆から呼ばれていた若い男のそれである。彼は常に道をふらふらと歩き、地面にいるアリを1匹残らず踏みながら進むからだ。彼に蟻地獄という渾名を命名したのは当時この様子を見た私である。
蟻地獄の視界に入った非力な生き物は即座に命を奪われた。オシロイバナの蜜を吸うセセリチョウを花ごと握りつぶしたり、病気の野良犬を容赦なく蹴り上げることもあった。公衆便所で発見された山積みになった鳩の死骸も、公園の茂みで金蠅まみれになっていた猫の死体も全て蟻地獄の仕業に違いなかった。
しかし、無益な殺生を繰り返す変態を懲らしめようにも、まだ7歳だった私にはその力がなかった。かといって周囲の大人に助力を仰いでも、面倒くさそうに「忙しいんだよ。仕事の邪魔をするガキは死ね」と言われるだけだった。高度急成長時代、誰もが必死に働く世の中は、子供や動物などにかまっている余裕などなかったのだ。
大通りに面した瀬戸物屋の隣に金魚屋があった。表にあるコンクリのタタキ池に沢山の真っ赤なコメットが泳いでいたが、黒くて可愛いデメキンが1匹混じっていた。私は小遣いを貯めていつかそれを買うつもりだった。
ある日いつものようにしゃがんで池を覗いていると、私とデメキンの場所だけが日陰になった。振り向くと蟻地獄が立っていた。私は戦慄した。奴は無表情のままデメキンを鷲摑みにすると大通りの都電の線路に放り投げた。電車が迫ってきていたので慌てて助けに向かったが、デメキンは私の目の前でオート三輪に踏まれた。
蟻地獄が許せなかった私は、悪魔のおばさんに相談することにした。その中年女性は路地裏で駄菓子屋を営んでいるのだが、我々幼児の間では店の奥に設置された鉄板で焼く “もんじゃ” を注文すれば、どんな願いでも叶えてくれるという噂だった。私はデメキンのために貯めた小遣いを全てもんじゃに使い、悪魔のおばさんに泣きながら頼んだ。
「どうか蟻地獄を懲らしめてください」
おばさんは「おやすい御用だよ」と言うと、鉄板の上の焦げにヘラを使ってガリガリと星の模様を書きながら、聞いたことのない言葉の呪文を唱えた。
翌日の明け方、公園は大騒ぎになっていた。蟻地獄の死体が見つかったのである。性懲りもなく金魚屋のタタキ池をいたずらしておっかない店主に見つかり、大通りに逃げて都電に撥ねられ、そのまま行方をくらましていたという。
屍の顔と半袖から出た両腕には、びっしりとアリがたかって走り回っていた。目を見開き、唇の隙間から死ぬ直前まで舐めていたらしい真っ赤な飴玉がのぞいている。日が昇って活動を始めたアブラゼミの鳴き声がてかてかした耳の奥の鼓膜を震わせたらしく、驚いたアリたちがぞろぞろと這い出てきた。私は思わず小さな声でつぶやいた。「これが蟻地獄かあ……」
私の経験と長年にわたる研究において “因果応報” は存在すると結論している。空に向かって唾を吐けば、自分の顔に戻ってくるのは物理の法則で説明できるが、それに似た未知の何かがあるのは確実で、どうやらこの世には正しくない行為や悪い心がけに対して罰が下される仕組みがあるらしい。
そしてそれらの大元になる部分には……一応、私も科学者のはしくれなのでこれは本当はあまり口にしたくない言葉であり、そしてこの言葉を使う度にそれを説明できない自分が嫌になるのだが仕方がない……つまり……霊とか神……のようなものが存在していることを認めざるを得ないようだ。