Vol.18 プラーと万里子――娘ほどに年の離れたビジネスパートナー
コロナ禍から日常が戻りつつある2023年初夏、万里子は久しぶりにタイ出張へ赴いた。実に3年ぶりのこと。タイは日本よりも変化のスピードが速い。インターチェンジなどの交通整備が見違えるほど進み、数年見ない間に一層洗練された都市へと表情を変えていた。
進化しつつもアットホーム
「街の雰囲気は前よりも進化した印象に変わっていましたが、タイの人々のあたたかさはそのまんま。工場全体、社員もアットホームに迎え入れてくれました。
タイで社長を任せているプラーがますますパワフルなのはもちろん、彼女の弟妹や甥っ子たちなどの若い世代も頼もしく成長していました。プラーの弟のプライは日本の我が家にかつて1年間ホームステイしたこともあるのですが、繊細なピンタックを縫うための新しいパーツの研究開発を実現するなど、会社を支える存在になっています」と万里子は目を細める。
タイ出張中はフレッシュなフルーツをたくさん摂取。香りの強いドリアン(写真左)も平気!2023年初夏、万里子とプラーのお母さまを囲む麗しい女性たち。左端は青(セイ)、そしてプラーの妹と姪たち。プラーはとても家族を大切にする人で、社員500人に対してもアットホームな雰囲気で働けるように心配りを欠かさない。万里子と共にナーサリーズルームを工場に併設したほか、福利厚生のアイディアを積極的に実現させてきた。
たとえば、年に一度“社内表彰式”を設けて優秀な人材には褒賞を授与。表彰式のパーティは華やかにドレスアップするルールということもあり、皆が楽しみにしているという。また毎年、社員総出の大運動会も開催。さまざまな種目を競い、なんと後夜祭には生バンドを呼んで朝まで楽しく過ごす。そういったレクリエーションから育まれた結束力を、社会貢献にまで発展させているのも凄いところ。クリスマス時期には、たくさんの贈り物をリヤカーに積んで恵まれない子どものための施設に直接お届けする活動も行ってきた。
大運動会ではチームカラーのユニフォームに身を包んで団結。チアも登場し、とても華やか。タイでは1月の第2土曜日が「子供の日(ワンデック)」。ナーサリーズルームでも子供のためのイベントを開催。プラー社長は大奔走。悔し涙も10倍のスピードで乾かす
出会った当初は外国人企業家と学生通訳という関係だったというのは、
以前の連載でも語ったとおり。「万里子さんのようなファッションビジネス家になりたい」と夢を口にしたプラーに、学生のうちから万里子は薫陶を授けていく。とはいえ、娘の青(セイ)とほぼ同世代のタイの女の子を、海外進出の初代社長に抜擢する決断は勇気がいったのではないだろうか?
「いいえ。プラーとその家族に対して“タイで最も信頼がおける”と早くから感じていたので。若い世代には可能性があるとも思いました。それに、会社を大きくしたくて海外へ出たわけではないのです。“個性”を表せる服づくりを第一義に、まだまだ男社会だったファッション業界の慣例に縛られないビジネスを私自身、模索していた時期でもありました」
2023年初夏のタイ出張にて。タイYMF社長のプラーと万里子。「何より、プラーは習得が速いのです。日本でもイギリスでも同じようにスタッフたちに仕事を教えてきましたが、プラーは彼らの10倍の速さですべてを身につけていく。最初から“原価率はどのように定めるのか?”“難しいピンタックにとりかかるのに、工賃や時間はどう見極めてGOサインを出すのか?”など、質問が実にシャープでした。基礎を教えると、自分なりの新提案も入れてくる。気の強さに加えて並々ならぬ努力の塊でもある。けれど、悔し涙もたくさん流したはずです」
専攻が日本語学だった彼女は、服作りの基礎――たとえば、型紙や製図、布種によって何枚まで重ねて断てるか、そしてワイエムファッション研究所ならではの“染色による縮絨率”などの現場の知識はゼロからのスタート。母国語ではなく(しかも教科書には到底出てこない専門用語だらけの中で)経営の奥義を掴むべく、万里子に食い下がってきたのだから並大抵の努力ではない。
「涙目で納得のいかないような顔をしていた事柄も、帰宅してタイ電力の取締役に就いている父・プンソックさんに、腑に落ちるまで深夜の猛勉強につきあってもらうのでしょう。翌朝には“昨日は誤解していた部分もあるけれど、すべて理解してきました”と素直な姿勢をみせる。社長に就いてからも、問題はすぐに“直接解決する”という習性を持ち続けているのは彼女のよいところですね」
重なって見えた女性経営者の苦悩
「タイでの生産を検討しはじめた80年代後半、あの頃の日本の流行り言葉でいう“翔んでる女”だったんだと思います、プラーは」と万里子。既成概念にとらわれず、やりたいことに挑戦していく自由意志の女性たちを称した言葉だ。
日本で男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年。管理職の女性も増えて、働く女性をとりまく環境が動き始めていた。ただし、タイには複雑な階級の制度があることもあり、女性が組織の上に立って経営の指揮を執ることは、日本に比べてまだまだハードルの高かった時代である。
「プラーには男の兄弟もいるのですが、勉強もできるけれど“一族の中で一番気が強い”と言われていたようで、“プラーと2人で事業を起こすなんて、マリさんはどれだけ大変な思いをしていることか!”とよくお父さんたちにも言われていました(笑)。でも500人を率いていくにはなよなよなんてしていられません。時代も国も違うけれど、プラーが立ち向かわなければならない慣例との戦いのようなものは、痛いほどよくわかるので、事あるごとに“この若い経営者と私たちとは1枚岩なのだ”と、外に向かって示すことも心がけました」
2023年初夏のタイ出張での大集合写真。右からプラー、リカルド、万里子、青、狩。2018年にタイの本社と工場をともに増築リニューアル。自動裁断システムなども導入し、ナーサリーズルームも拡張した。メディアにも注目されて、プラーは2019年のロータリークラブ主催の“タイの女性経営者BEST20人”に選ばれることとなる。クリーンな経営、社会貢献やマナーの素晴らしさ、そしてナーサリーズルームをはじめとした従業員への配慮を評価されてのこと。関わる誰もが幸せな“物づくり”がタイに根ざした。
さて、これからの連載では“女性経営者としての万里子の使命”についても、深く伺っていく予定です。どうぞお楽しみに!