実はこの頃、私はアヤさんのお父さんの会社で経理を担当している女性と親しかった。その千枝子さんは、とても真面目な人で年齢は私と同じくらいだった。お金の計算が苦手で、その上いつも手元不如意な私を見かねて、千枝子さんはさまざまなアドバイスをくれた。
一番有難かったのは、彼女が定期預金の積み立てをすすめてくれたことだ。もう30年も昔だが、私はそれだけは真面目にせっせと貯めた。10年後に定期は満期になり、そのお金を頭金にして最初の家を買った。「宵越しの金は持たない」という下町気質の母親に育てられたので、千枝子さんのアドバイスがなかったら、とても家など持てなかっただろう。
そんな千枝子さんが、2人で食事をするたびにこぼしていたのが、社長の娘であるアヤさんの浪費癖だった。なぜ、父親の会社の経費で海外出張や巨額な買い物をするのか、千枝子さんにはわからなかった。しかも会社では社長の長男が専務として働いていた。長女のアヤさんは社員にもなっていない。
それでも、彼女が支払えない借金は会社からの貸付として処理した。それがもう1億円以上になっていると聞いたのは20年ほど前のことだ。会社の業績は好調なので、なんとか回っている。しかし、父親である社長がアヤさんにきちんと注意をしないことに千枝子さんは苛立っていた。
その後、千枝子さんは面倒なことに巻き込まれる。社長から、娘のアヤさんの会社の経理を見てやってくれと頼まれたのだ。どうせ杜撰な経営をしているに決まっているので、断りたかったが、社長から直々に懇願されると断れない。結局千枝子さんはアヤさんの会社に出向せざるを得なくなった。業務はマーケットリサーチと聞いていたが、ほとんど実態のない会社だった。
なにしろ、日本の企業のコンサルタントを担当するといっても、クライアントが一社もない状態。それでいながら港区には立派なオフィスを構えて秘書まで雇っていた。もちろん大赤字である。すぐに千枝子さんは社長のアヤさんに、赤字がなるべく小さいうちに会社を閉めましょうと進言した。しかし、アヤさんは平然と言ってのけた。
「あたしは今、大きなビジネスを抱えているのよ。口出ししないでよ」
「でも、社長、オフィスの家賃がもう半年も未払いです。明日にでも振り込まないと」
千枝子さんが危機感をあらわにして説得しようとすると「それならあなたが銀行から借りるか、父の会社に言ってちょうだいよ」と、まるで他人事のような口調だ。銀行だって簡単にはお金を貸してくれないし、アヤさんのお父さんの会社は、すぐに経理部長に断られた。
困り果てた千枝子さんは、自分の預金から家賃の300万円を立て替えて支払った。数字には几帳面な千枝子さんは、知らん顔が出来なかったのだ。翌月にはアヤさんが父親の会社に泣きついて2000万円の借り入れをした。それでも千枝子さんにお金を返そうとしない。
私は何度か千枝子さんの愚痴を聞いて、はらわたが煮えくり返る思いだった。結局千枝子さんも、たまりかねてアヤさんの会社を退職した。ついに300万円は返してもらえなかったそうだ。