その少し前に、飛んで火に入る夏の虫ではないが、井上氏がアヤさんに引っ掛かったのである。まったく予備知識がないまま、美貌のアヤさんを、やり手の女社長だと信じ込んで結婚した。
すべてが順調だったのは、最初の3年くらいだった。その後は次々と悪いニュースが入って来た。といっても私は千枝子さん経由で噂話を聞くだけだったが、気が遠くなるほどの借金と噓をアヤさんは重ねていた。
やがてアヤさんの父親が亡くなり、長男が会社を継いだ。その長男は亡くなった先妻の息子なので、別にアヤさんと特に仲が良いわけではない。自分の妹の借金が、会社の経営を脅かすほどに膨れ上がっているのを知ったアヤさんの兄は、井上氏と会って窮状を訴えた。「そうですか。申し訳ない。さっそく家内とよく話し合って対策を講じます」と井上氏は頭を下げて帰って行った。
ところが、家でアヤさんに「どうするつもりなんだ?」と井上氏が詰め寄ると「あら、それは私が借りたんじゃないのよ。実はねパパが勝手に会社のお金に手を付けたの。私に返せなんて言われても困るわ」と眉一つ動かさずに平然として答える。もうアヤさんの父親はこの世にいないのだから真相は藪の中だが、いくらなんでもそんな非常識なことを先代の社長がするとは考えられなかった。
そのため、千枝子さんは久しぶりに井上氏に呼び出されて、数々の質問をされた。
いったいアヤさんはイギリスの大学を卒業しているのか? 答えは「ノー」だった。中学生の時に担任の先生と大喧嘩をした。卒業と同時にロンドンに送られたのは、両親も彼女の荒い気性を持て余していたからだった。そして寄宿舎制の高校から、有名大学の聴講生になったが、1年くらいで日本に帰って来た。
では、彼女はずっと独身で仕事に打ち込んでいたというのは本当なのか? これも「ノー」だった。千枝子さんはアヤさんが反社の世界の男性と結婚すると騒いでいたと思ったら、外国籍の在日2世の男性と10年以上も同棲していたのも知っていた。どちらの男性も実は既婚者だったし、国籍やDVの問題があって結婚には至らなかった。
アヤさんは、自分の年収は最低でも5000万円あると言っていたが? との問いには「500万円すらなかったでしょう。50万円あったかどうか……」と千枝子さんは首を傾けた。
もう50代になっているアヤさんだが「おそらく、奥様は今まで一度もご自分の力でお金を稼いだことはなかったはずです」と井上氏に告げた。さすがに彼も啞然とした表情だったという。
自分の妻が勝手に2億の借金を抱え込んでいると知ったら、男はどんな行動に出るものなのだろう。一流の経営者として世に知られている井上氏だけに行動は素早かった。
(後編に続く)
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。