まだ若いのに、なんと性格の悪い娘がいるものだと知人は天を仰ぐような気持ちになったという。ましてその娘が三橋家に嫁いだと知って驚愕した。
しかし、ノリさんの美貌と語学力が気に入って三橋氏は結婚を決めてしまった。
「俺はどうして結婚したんだろう? 顔だって好みのタイプじゃないんだけど」と晩年の三橋氏がぽつりと呟いたのを、私は今でも憶えている。
結婚して間もなくから、彼女のパフォーマンスは始まった。三橋氏の実家の親族がいるパーティなどに出席すると、必ず帰宅直後に玄関で倒れる。初めは三橋氏も狼狽して、彼女を抱き上げて寝室に運んだ。きっと疲れたからだろうと思った。しかし、あまりに何度も続くし、倒れるのは必ず大理石を貼った床ではなく、絨毯が敷いてある場所なのに気づいた。
ああ、これは芝居なのかと思ったら、彼女の発する言葉のすべてが芝居じみて聞こえた。思い切って精神科の医師に相談したら「現代は、たいがいの精神疾患は治療が可能です。しかし、息を吐くように噓をつく人には何の治療方法もありません」ときっぱりと返されて、二の句が継げなかったそうだ。
三橋氏は離婚を強く希望したのだが、ノリさんは聞き入れなかった。彼女は三橋夫人というステイタスにこだわったのだろう。同じ女性として、彼女の気持ちがわからないわけではない。しかし、正直なところ井上氏も三橋氏も、とにかく妻の虚言癖に悩まされた。しかも三橋氏に至っては、そのために体調を崩し70代なのに脳溢血で突然亡くなった。もう少し、虚言癖に関する医学が進んでもよいのかもしれない。男女問わず、虚言癖のある人への対処法を教えてくれる研究書があるかどうか、今度調べてみるつもりでいる。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。
イラスト/大嶋さち子
『家庭画報』2023年7月号掲載。
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