新「軽井沢」で楽しむ夏 第3回(全25回) 古くから、文化人、芸術家、財界・学会などの知識人に愛され続けたこの地では、住民の見識・美意識が高く、“本物”しか残らない文化があるといわれます。本物の軽井沢文化を担う住み手の暮らしを追いながら、名門避暑地たる所以を探りました。
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一枚の絵との運命的な出会いから美術館を開いたコレクター、荒れ地を切り開き森の音楽堂を作った声楽家、テントサウナで自分流の“サ道”を愉しむサウナー(7月20日公開予定)。三者三様の「森の生活」をご紹介します。
小さな森の音楽堂
馬小屋がモチーフという素朴で開放感のある空間に、立原綾乃さんの優しく澄んだ歌声とピアノの音色が満ちていく。「音楽堂にするつもりで建てたわけではないんです。ピアノを置いて歌ってみたら、思いもよらぬ美しい響きが生まれ、新たな音楽人生が始まりました」。以来、日常的に小さなコンサートを開き、人々に音楽を届けている。日常に音楽を届ける歌い手の「森の暮らし」
立原綾乃さん(歌い手・音楽家)気持ちのいい季節には、シンボルツリーのヒノキの木陰でティータイムを楽しむことも。10年かけて理想が現実となった「森のガーデン」
「小さいときに両親や祖父母と過ごした軽井沢の別荘での幸せな思い出が、今の私の原点です」。
飾らない笑顔で話すのは、東京から軽井沢へ移住した歌い手の立原綾乃さん。20歳の頃から森の暮らしに憧れていたという立原さんが、あるとき出会ったのが、木々が鬱蒼と生い茂る湿地帯の荒れ果てた姿でした。
「皆に心配されましたが、私は手入れさえすれば、必ず美しい森に甦ると思ったんです。すぐ近くに『夫婦石』があったことも決め手になりました。大好きだった亡き祖父母に導かれていると感じたのです」。
それから10年、都会育ちの立原さんは、きこりの友人らの手も借りながら、少しずつ森を整え、音楽堂を建設。最初の様子を知っている人は、今の豊かな森のガーデンを「奇跡」と呼んではばからないといいます。自然と一体化した音楽堂の誕生で、立原さんは新しい音楽活動をスタート。
日々の生活で音楽と自然に親しんでもらいたいとの願いから、2022年に平日毎日、16時から1時間開催した「サンクチュアリ」と名づけたライブが大きな反響を呼びました。
「私の使命は音楽を通じて、より多くの人と自然をつなぐことです」とまっすぐな瞳で話す立原さんは、今日も森の中で歌っています。
立原さんが“出逢いの広場"と命名した、音楽堂からの小道と、けもの道が交わる場所。陽光がシャワーのように降り注ぐ。自身で作詞作曲した曲や即興曲で歌うのは、地球への賛美や祝福。歌う姿は祈りを捧げているようにも見える。腰の高さほどの草花が風にそよぐ“メドウ・ガーデン"。庭仕事をする立原さんが裸足なのは「土を肌で感じたり、植物を傷めないように」。森から見た音楽堂。木を極力伐採しないですむよう考え抜いて建てた自然優先の建物だ。自家菜園のルバーブを使った立原さんお手製のクラフティ。庭で剪定したものでテーブルを彩る。昔ながらの薪ストーブが目印の“焚き火場"で、書き物をする立原さん。専用の手帳に、思い浮かんだ詩や、今後庭でしてみたいことなどを書き留めているのだそう。中央のテーブルトップの板をはずすと、浅間石を積んだ炭火焼きスペースがあり、食事も楽しめる。大きな森の入り口につけられた小さな門。立原さんは現在、音楽活動以外に、FM軽井沢のパーソナリティも務めている。音楽堂では、コンサートや1日1組限定のプライベートな音楽会などを開催。詳しくはインスタグラムに。@ayanotachihara 撮影/本誌・坂本正行 取材・文/清水千佳子
『家庭画報』2023年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。