時を超えて存在するアートたちに季節の花がそっと寄り添う
戸田さんが魅了された稲葉さんの眼(まなざし)
語り/戸田 博
稲葉くんは以前、伊豆の「玉峰館」という旅館の主人でした。素晴らしい空間、館内の彼のコレクション、さりげなく入る花など、他では経験できない美に満ちた世界に惹かれ、私は玉峰館を繰り返し訪ねていました。
姥百合を入れた10世紀ジャワ島の青銅聖水入。周りには、江戸時代の木彫仏のトルソー、インドネシアの青銅器やビーズ、清朝白磁小壺、李朝白磁台皿、チベットのタンカ(仏画)など、アジア各国のアートが置かれている。彼のアートへの姿勢は直感的でありながら知識豊富。なかでもインドネシアのプリミティブアートに関しては第一人者といわれるクオリティで「タカシコレクション」として内外で評価されています。
茶道具という土俵の中で育った私は、そこからはみ出すことにあまり慣れていなかったのですが、もともとアートは嫌いではなく、若い頃に少しかじっていましたので(編注:戸田さんは東京の彌生画廊で修業)、稲葉くんと出会ってからは二歩も三歩もバサバサと踏み外してしまった。お互いにウマが合ったのでしょう、訪ねて行くと丁々発止、明け方まで男二人でずっと話し込んだりしていました。
蠟梅(ろうばい)の枝をジャワ島の青銅槍先に入れ、同じジャワ島の民家の羽目板に掛ける。今回、稲葉くんの伊豆の自宅で花を撮影させてもらいましたが、その暮らしの空間にもインドネシアのものものがごく自然な佇まいで配されています。
ふだんから水草の入るジャワ島の石臼に、黄色い崑崙花(こんろんか)をそっとひと花入れて。プリミティビズムとは「原初的」という意味ですが、インドネシアのプリミティブアートは農耕民族の平和主義の暮らしの中で生まれてきた落ち着いたアートです。神への祈りと直結していて、シンプルな美しさに満ちています。
利休の時代から、プリミティブなものはすでに茶の湯に存在していました。たとえば砂張(さはり)の釣舟花入はインドネシアの祭器を日本の茶人たちが花器に見立てたものですし、ベトナムの古陶器にもプリミティブなものがあります。
利休の道具に触れ、また稲葉くんの感覚を見ていると、自身の眼で「美しいものは美しい」、それを好きか嫌いかをはっきり表現できることが、実はインターナショナルで、シンプルな生き方ではないか。お茶も本来そのようなものではないかと思うのです。
撮影/本誌・坂本正行 取材・文/福井洋子
『家庭画報』2023年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。