あれからどのくらいの月日が経ったのだろう。オイラたちは今では速く走れるし、自分で食べ物を探せる。一晩中歩いても疲れないよ。そういえば人間の町を通る時、オイラはかあちゃんを見つけたんだ。でも匂いがしない。それはガラスというものに映った自分の姿だった。オイラはかあちゃんと同じくらい大きくなったんだね。
その頃だったかな、オイラたちは生まれて初めて海を見たんだ。
すごいね。広いね。どこまでも続いているんだね。嬉しくなってみんなで走り回って遊んだよ。お腹はペコペコだったけれど、そんなのはいつものことさ。穴を掘ったり、貝殻をくわえたりしてとても楽しかったんだ。
そうこうしていると向こうから知らない犬が来た。でも挨拶しようと近寄ったらキャンキャンと悲鳴を上げて怖がった。同じ犬でもオイラたちとは違う世界に住んでいる犬だったんだね。後から来た人間がそれを見てカンカンに怒りながら棒を振り回し、オイラたちを追い払ったよ。そしてこちらを見ながら何かの道具を取り出すと耳に当て、まるでもう一人の誰かと話すみたいにずっと独り言を言っていた。
次の日、食べ物を探しに行った2匹は帰ってこなかった。
オイラはずっと待っていたんだけれど、何日経っても戻らない。オイラはまた一人ぼっちになっちゃった。誰もいない海辺で寝ていたら、かあちゃんの夢を見た。海の匂い、いつまでも続く波の音。まるでかあちゃんのおなかの中にいるみたいだなと思ったよ。
夜明け頃に大きな鉄の箱を積んだトラックがやってきた。何だろうと思っていたら、突然窓から長い棒が出てきてオイラの自由を奪った。棒の先には針金の輪っかが付いていて、首にかけると締まるようになっていたんだ。そのまま首つりみたいに持ち上げられて荷台の鉄の箱に投げ落とされた。鉄の箱の中はいなくなった2匹のニオイがした。どうやら仲間たちもこれと同じ目にあったらしい。
しばらくしてトラックが停まると、オイラはまた首つり棒で持ち上げられて、真四角の何もない部屋に入れられたんだ。そこには沢山の犬たちがいた。
オイラみたいなのはもちろん、そうじゃない犬も多かった。首輪を付けた年寄りの犬、重い病気をこじらせて苦しんでいる犬、壁を見つめて固まっている犬、飼い主が迎えに来ると信じてドアを見ている犬、沢山の赤ちゃんにおっぱいをあげているお母さん犬もいた。ここで産んじゃったのかな。せっかく生まれてきたのにかわいそうだよね。そうさ、オイラはすぐにわかったんだ、ここから二度と出られないって。
オイラは今までの出来事を思い出して過ごした。かあちゃん、優しかったな。オイラを産んでくれてありがとね。黒いおばちゃん、ごはんくれてありがとね。海で遊んで楽しかったな。みんなありがとね。オイラの思い出、ちょっとしかないけれど、ちっぽけな毎日だったかもしれないけれど、でもそれがオイラの全部なんだ。
この部屋の仕掛けが動き始めたみたい。なんだか頭がぼんやりしてきたよ。
かあちゃんが死んで一人ぼっちになった時に見た大きな虹。あの時は走っても走ってもたどり着けなかった。今度は行けるかな。オイラきっとかあちゃんが待っていてくれるって信じているんだよ。