ラフマニノフの協奏曲がもたらしたもの
辻井 僕の初めての海外録音も、佐渡さんが導いてくださって、ベルリン・ドイツ交響楽団とラフマニノフの協奏曲第2番。ベルリンのスタジオでした。19歳でまだ経験もあまりなく、緊張しましたけれど、すばらしい体験でした。
佐渡 とても密度の濃い録音で、収録を終えた途端、オーケストラからものすごい拍手が湧き上がったのね。のぶくんへの賞賛の拍手。
辻井 皆さんが本当に喜んでくださって。あの瞬間は今も忘れられません。その直前に、佐渡さんが司会をされていたテレビ番組『題名のない音楽会』で3楽章だけ演奏する機会があって。リハーサルのときに、佐渡さんが厳しくアドバイスしてくれたんです。
佐渡 「そんな音じゃダメだから!」って怒ったよね。やはりこれから演奏活動をしていくのに、2000人規模の大きなホールでも人に届く音をさなければいけない。大きなオーケストラを相手に、芯のある音を出さなければ、と。のぶくんは感性がすごいから、僕の言うことを、その場の響きですぐ理解してくれた。記憶に残る瞬間です。
辻井 佐渡さんの愛情を感じました。あの場があったからこそ、ベルリンで最高の録音ができたのだと思います。そして翌年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに挑戦し、ファイナルで、この曲を弾いたんです。
佐渡 そのとき僕は日本にいて、インターネットでずっと追っていたけれど、結果発表、のぶくんの名前が出てこない。え〜っと思っていたら、その年は珍しく一位が二人だったのね。ノブユキ・ツジイって呼ばれて、号泣!
「佐渡さんは僕にいろんなチャンスをくれる大恩人です」── 辻井さん
「人として成長し続けるのぶくんを僕は尊敬しています」── 佐渡さん辻井 ラフマニノフの協奏曲第2番といえば、BBCフィルハーモニックとのツアーも忘れられないです。2011年3月。
佐渡 西日本各地を回って大成功、これから神奈川、東京という前夜、オーケストラ全員とすごく楽しい宴をして、飲んで、のぶくんも踊って(笑)。翌日、横浜のホールに着いたところで、大きく揺れた。東日本大震災発生。状況がわからず公演するつもりでリハーサルもしたけれど、当然中止になり。彼らがイギリスに帰るのも本当に大変だった。だけど2年後にまた来てくれて、同じメンバーで公演できたよね。
辻井 佐渡さんは、僕にいろんなチャンスをくれる、大恩人です。共演は本当に楽しいし、演奏後は「よかったよ〜」と抱きしめてくれて。僕も同じ気持ちで。
佐渡 若くしてコンクールで優勝し、そこからなお努力し、ピアニストとして、人として成長し続けるのぶくんを、僕は尊敬しています。今回久しぶりの共演でも、ああ、こういうふうなピアノを弾くようになったんだと発見がありました。のぶくんがオーケストラを導き、あるときはオーケストラがのぶくんを導き、互いにひとつになって、そこに溢れ出るものが、人を動かすんでしょうね。指揮していても、ごく自然で、しっくりきて、気持ちよかった。
辻井 もっともっと成長して、レパートリーを増やして、佐渡さんと新日本フィルの皆さんと、いろいろな曲に挑戦できたらと願っています。