夏から秋へと移ろう九月
草花と相性の良い籠の花器がもっとも活きる
語り/小林 厚
秋は籠の花入がいちばん似合う季節。古民家の空間で籠の花入を使ってみました。夏の終わりがけの時季、植物が徐々に枯れていくさまを入れていきます。
古民家の空間に入る日常の花 ゆっくりと流れる時間と呼応させて竜胆(りんどう)、粟(あわ)、柘榴(ざくろ)
籐籠 インドネシア・ジャワ島
インドネシアの大きな籐籠を、テーブルの上に置いた日常空間の花。古い民家の板戸、落ち着いた色の籠、枯れた枝や葉などの渋い色が重なる中で、瑞々しい竜胆の紫色がひときわ引き立つ。この季節ならではの取り合わせ。茶花には残花(ざんか)という言葉がありますが、盛りを過ぎて小ぶりになった花や、葉の色が変わりかけているような草花の姿を愛おしむ美意識がこの言葉にはあります。
葉が落ちて実だけが枝に残る柘榴、穂を垂らしながら金色に熟した粟に、少しだけ蕾を残した野趣あふれる竜胆を合わせました。
柘榴や粟はほぼ枯れて乾いた状態なのであまり変化しませんが、核になっている可憐な竜胆は毎日少しずつ朽ちていく。そんな時間を花を通して感じていくのです。
茶席の花は一瞬ですが、このような楽しみは日常の花だからできると思います。竜胆が枯れてしまったら、柘榴と粟はそのまま活かして別の花を入れて、さらに時の経過を楽しむ。そんな遊びを僕はふだんからしています。
ひろがりやすい草を入れる時、根元の茎や葉を花留めとして利用する花を入れる際、枝ものは根元の部分が1か所になるので、そこをきちんと留めれば安定する。一方、やわらかな草花の場合は、茎や葉がそのままではバラバラとひろがってしまい自然な形で安定させるのが難しいことがある。そんな時には、草の根元の部分を一つにまとめて丸め、落としの中で固定させる。他の花材もその隙間を花留めにして利用すると入れやすくなる。上の花の場合は、粟の茎を花留めにしている。一方、瓢籠花入に入れた花は、その瞬間の姿を味わう花。
この場合は民家の入口にある侘びた土壁に花入を掛け、迎え花のような扱いにしましたが、どこか茶室の花に通じるものがあります。
千 利休の瓢籠(ふくべかご)花入に入れた秋草で、微妙な季節の変化を表現瓢形の掛籠花入に入れた、杜鵑草(ほととぎす)2種(右)と、杜鵑草に小さな浜茄子の実を加えたもの(左)。杜鵑草のみの場合は、花の付き方や葉っぱの色の変化があるもので名残の風情を、もう一方は杜鵑草の分量を減らし、実ものを添えることで、さらに少し進んだ季節を表現している。花入は瓢の表面を編んだ竹で包み込んだ珍しい形状で、裏面には千 利休の墨書の花押がある。時代を経て深い色を帯びた花入とのバランスを考えながら秋草を厳選することで、秋の侘びた風情を味わう花に。紀伊上臈杜鵑草(きいじょうろうほととぎす)は黄色い花がつく珍しい杜鵑草です。まわりの葉が少しずつ黄色く色づき、花と葉が同化していくような様子も面白い。もう一つの枝の先には咲ききれずに朽ちた別種の小さな蕾の名残があります。まさに残花。夏の終わりを感じる九月の花です。
もう一つは、十月の頃の気分で入れた花で、杜鵑草を短く入れ、小さな浜茄子の実を添えています。本来でしたら茶室の小間で用いるのに相応しいような利休在判の花入を、今回は日常の空間で使っています。これもまた
前回お話しした陰と陽のバランスです。花が陰気を帯びるからこそ、小ぶりでありながらも強い花入を用いてみました。
撮影/本誌・坂本正行 取材・文/福井洋子
『家庭画報』2023年9月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。