天空の森 ふるさとに築く「夢の王国」 鹿児島の大自然のなかで育った「天空の森」オーナーの田島健夫さんは、動植物に関する生き字引のようなかた。なかでも驚かされるのが、「鶏」にまつわるお話で、大好物でありながら、人生哲学を学ぶ師でもあり、家族のような絆を結ぶこともできると語ります。目から鱗が落ちる鶏講座、お楽しみください。
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信頼関係を築くのに近道はない。相手が動物でも人間でも同じこと
家族みたいな存在だという鶏たち──中央の雄鶏はムサシ、両脇はともにムサシ子──に優しく話しかける田島さん。「鶏も人間と同じで、心を許すまでは近づいてきません。最近、赤い子が僕の手から餌を食べるようになりました。ほかの2羽もそろそろかな」。
「鶏の家族を長年観察すれば、生きることの本質が見えてくる」──田島健夫
鶏は「3歩歩けば忘れる」ということわざもあり、世間ではもっぱら頭の悪い動物と思われていますが、実際はまったく違います。子どもの頃からずっと見続けている僕がいうのだから、間違いありません。彼らは鶏同士で会話をしているし、「生きる術」もしっかり持っている。僕ら人間が見習うべき点も多々あるのです。
昔、このあたりの家はみんな鶏を飼っていて、卵は食べていいが、鶏は食べてはいけないといわれていました。その理由が、浄土真宗から発した「カヤカベ教」と呼ばれる隠れ念仏信仰にあると知ったのは、小学生の頃。
カヤカベ教に詳しい仏師の深尾兼好さん曰く、「薩摩の隠れ念仏と呼ばれる信仰の一つで、霧島にしかない秘教」。
巡査をしていたおじから、鶏を食べないのは神様の使いだからと聞きました。鶏は人を見分けることができるため、薩摩藩による浄土真宗の禁制下で集まる際は“番鶏”の役割を果たしたようです。
1970年に龍谷大学宗教調査班が編集。鶏は神の僕使であり、天地開闢(てんちかいびゃく)の際、人間が住める土地を探してくれた恩があるため、食べてはならないとの記述がある。
叔父は「(カヤカベ教は)おまえで最後だ」ともいっていましたが、わが家では特別なお客さまがあると捌いてお出ししていたし、そういうときには家族も食べていたと記憶しています。
旅館の入り口には来館者の笑みを誘うこんな立て看板が。田島さんのユーモアと鶏たちを思う“親心”が伝わる。
鶏たちを長年観察していて、わかったことの一つが、彼らが鳴き声でコミュニケーションを取っているということ。コーココココは「産みたい」、コケーコは産んだ喜びの表現、コ!と短く鳴くのは、天敵の襲来といった危険が迫っているときで、「気をつけろ!」の意味です。
つぶらな瞳のひよこ。羽の色が一部変わり始めている。撮影/本誌・大見謝星斗
夫婦、親子の関係性も興味深いものがあります。雌鶏が卵を産む場所は雄鶏が探すのですが、決めるのは雌鶏。人間も家や車を買うとき、最終的に決めるのは女性が多くありませんか?
安心して産卵できるよう、旅館が用意した箱で卵を産み、温める雌鶏。孵(かえ)ってすぐのひよこが寄り添う。撮影/本誌・大見謝星斗
立派だなと感心するのは、卵を抱えているときの雌鶏です。イタチやアナグマといった天敵がきても、微動だにしない。一方で、排泄だけは離れた場所へ走っていってする。これはにおいで獣たちを誘導して、卵を守るためじゃないかと、僕は推測しています。わが子を守るための覚悟と知恵は、人間のお母さんに通じるものがありますね。
光沢のある立派な尾を持つのがお父さん。撮影/本誌・大見謝星斗
雄鶏はというと、卵が無事産まれると、ほかの雌鶏を探しにいってしまうことが多いのですが、「忘れの里 雅叙苑」の雄鶏は結構面倒見がいいですよ。
餌探し中と思しきは、「忘れの里 雅叙苑」で放し飼いにされている鶏の母子。子どもたちが独り立ちできるよう、教え導くのは雌鶏の役目だ。
ひよこが歩きだすと、雌鶏は餌の取り方を教え、次に木に飛び乗って見せます。ひよこはすぐにはできませんが、翌日にはお母さんと同じ枝に乗っている。雌鶏は子の成長に合わせて、生きる術を一つ一つ教えていくんですね。彼らを見ていると、生きることの本質とはシンプルなことの積み重ねだと感じます。
軒先に干されているのは、自家栽培しているにんじんと大根。「忘れの里 雅叙苑」は、鹿児島の伝統的な生活文化に触れられる場所だ。
僕が旅館でお出しする料理の目玉にと思い、養鶏を始めたのは、1972年頃のことです。現在、鶏牧場を任せている迫田幸二さんは非常に研究熱心で、彼が作る発酵飼料で育てた鶏は臭みが一切なく、格別においしい。お客さまに必ず喜ばれる、僕の大好物です。
田島さんが経営する鶏牧場のある渓谷。森に隠れて見えない牧場では、田島さんが厚い信頼を置く「鶏博士」の迫田さんが、飼育する数種類の鶏約600羽とともに生活している。
同じ鶏でも、飼っている子たちだけは特別で、食べたいとは思いません。彼らは人間的で、朝になると「餌をくれ」とドアを叩いて起こしにくるし、出先から帰ると犬のように走ってくる。以前、ひよこのときから飼っていた子は、僕が車に乗ると助手席に飛び乗ってきたんですよ。
鶏はさまざまな面で僕の人生を支えてくれる存在。だから、心の底から大事にしなければと思うのです。
「天空の森」オーナー田島健夫(たじま・たてお)1945年、鹿児島県・妙見温泉の湯治旅館「田島本館」の次男として生まれる。東洋大学卒業後、銀行勤務を経て、1970年に茅葺きの温泉旅館「忘れの里 雅叙苑」を、2004年に約60万平方メートルの広大なリゾート「天空の森」を開業。抜群の発想と行動力で新しい挑戦を続けながら、日本の観光業界を牽引している。