潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。
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第16回 ビジネスケアラーの悩みは深い(前編)
文/工藤美代子
同世代の友人たちと、まるで挨拶のように交わす言葉がある。
「面倒な時代になったものね」
「本当に、年寄りはどうしろと言うのかしら」
これは3年半前にコロナ禍が始まった頃からだ。ワクチンを接種するようにと区役所から手紙が来る。ところがいくら電話をしても窓口はお話し中で、予約が取れない。初回の時はひどかった。ネットで予約すれば早いと若い人に教えられても、どんな手順でするのか皆目わからない。
その間にもおサイフケータイというものが普及し始めて、たいがいの支払いは携帯ですませる人が多くなった。通販だって、ネット注文なら簡単だが、電話だと時間がかかる。
さらに巷に氾濫するカタカナ言葉の意味に頭を悩ませる仕儀となった。
オワコンとは何のことだと姪に聞いたら笑われた。もういささか古い表現になっているそうだ。意味は、終わったコンテンツの略。じゃあ、コンテンツは何かと問えば、もともとは内容という意味だが、それは人間でも流行でもあてはまるという。世間からは用済みとみなされた人は、オワコンと陰で呼ばれる。すでに誰も見向きもしない終わった人。つまりは私みたいな老人のことかと聞いたら、姪は微妙な表情でまた笑った。
先週は、新聞やネットの記事にタイパという言葉が頻出し始めた。タイムパフォーマンス=時間対効果ということらしい。短時間で、どれだけの効果を上げられるかが重視されている。家事から勉強に至るまで、今の人たちは結果を出すのを急ぐ。しかし、節約した時間を何に使うのだろう? 料理の下手な私は、どこかで手抜きをしたら美味しいものは作れないと信じている。でも、今はタイパを重視した電子レンジ対応のレトルトや冷凍食品の売り上げが飛躍的に伸びているらしい。
それも時代の流れかと、どこか他人事で眺めていたら、つい最近、不思議な新語に遭遇した。
「ねえ、工藤さん、私たちってビジネスケアラーよね」と友人が電話口で言ったのがきっかけだった。その友人である澄子さんは68歳。半年ほど前に同い年の旦那さんが病気で倒れて、歩行困難となった。夫婦共に働いていたので、片方が介護生活になるのは経済的にも痛手である。二人のキャリアや病気についての詳しい説明は省くが、長年同じ職場にいて、とても息の合ったパートナーでもあるのは確かだ。
ビジネスケアラーという聞き慣れない言葉にちょっと戸惑ったが、つまりは仕事をしながら誰かの介護をしている人を指すらしい。それならば団塊世代でも、親の介護をしている友人はけっこう多い。なにしろ人生100年時代である。それだけ長寿社会になったわけだが、同時に介護を必要とする高齢者が増えている。かつては、子供が親の介護をするのが当り前と思われていた。しかし、最近は自宅で徹底的に面倒を見ている人、老人ホームに入っている親を定期的に訪ねているケース、その中間で、月に2週間ほどショートステイに預けて、それ以外は自宅で見る例もある。とにかく子供だって、もう60代から70代である。体力的にも介護生活に無理が出るのは当然だろう。
一方で、子供の世代がすでに仕事をリタイヤしている場合は、親の世話がし易いともいえる。そんな友人が私には5人くらいいるが、うまく時間を有効に使って、自分の老後も楽しんでいるように見える。
しかし、ビジネスケアラーというのは、まったく違うケースらしい。澄子さんのように、まだ現役で働いている人。それがパートナーの介護をしなければならない境遇になったらどうするのか。まさにそれがビジネスケアラーの問題だと澄子さんは言う。
実は彼女が私に電話をしてきたのには理由があった。私自身も、ほぼ澄子さんと同じような境遇にいるからなのだ。いや、澄子さんほど切実なわけではない。彼女は現場でバリバリ働いている。一流企業のサラリーマンと変わらぬ報酬を得ていると聞いた。
私は、細々と自分が好きな仕事を続けているだけだ。正々堂々とビジネスケアラーとは宣言出来ないが、それでも、3カ月ほど前に、夫の腎不全が悪化して人工透析をするようになったことから、わが家の生活形態は一変した。
たった一人で家事を引き受けるのは、こんなに負担になるのかと初めて知ったのである。若い頃ならどうということもないのだが、70歳を過ぎてからは、本当に体力が続かなくなった。すぐに疲れる。気が滅入る。腹が立つ。理由はわからないのだが精神的に不安定になった。
81歳の夫はまさに昭和の男だから、台所に立つなどとんでもないと思っている。しかし、ここ3、4年は私があんまり文句を並べ立てるので、渋々手伝うようになった。それでも、せいぜい食べ終わったお皿を台所に運んだり、ゴミ出しをしたりするくらいだ。これは前にも書いたが、そもそも夫と結婚した理由は、シャンデリアの電球を取り替えるのに便利だろうと思ったからだ。
私の両親は早くに離婚したので、小学生になる頃にはもう父は家にいなかった。いわゆる女所帯で育って、強烈に憶えているのは、電球を取り替えてくれる人が不在だったこと。母も子供たちも、切れた電球にどうしても手が届かない。ああ、これは情けないと子供心に思った。それで夫が身長180センチと聞いて、すぐに結婚を決めた。今にして思えば、身長なんかじゃなくて年収を聞くべきだったのだが。
それはともかく、透析治療を開始する前に、夫は3週間も入院した。足は浮腫(むく)んでいたし、心臓の周りにも水が溜まっていたし、とてもすぐには透析を始められる状態ではなかったからだ。
私にとっては久しぶりの独り暮らしが始まった。すると、まるで神様が見透かしていたかのように、次々と小さな難問が持ち上がった。まずは、その週に早々とダイニングテーブルの上の電球が切れた。続いて暑くなったのでエアコンを入れようとしたら、リモコンを押したのに、うんともすんとも動かない。このエアコンは天井の上にはめ込んであるので、私がいくら背伸びをしても型番すら見えないし、保証書は夫の書斎の本棚のてっぺんに載っている。そんなもん取るために踏み台なんか使ったら、すぐに落ちて骨折しそうだ。そして極め付きは台所にゴキブリが出没した事件。これは過去30年で初めての緊急事態である。ものすごく大きく艶々したゴキブリは私と目が合うと、あっという間に逃げた。
しかし、いくら私がキーキー叫んでも、誰も駆け付けてくれそうな知り合いはいない。夫しかこの家を守る部下も同志もいないのかと実感した。
そんなわけで、めでたく夫が退院した時は嬉しかった。これで通常の生活が始められると思ったのだが甘かった。夫は透析を受けることになって、障害者手帳を支給される。それはつまり日常の生活に支障をきたす可能性がじゅうぶんにあるということだ。恥ずかしながら、そこまで私の想像力は及んでいなかった。以前と同じように電球を取り替えてくれると考えていたのが大きな間違いだった。どうやら透析治療は夫の身体から大量のエネルギーを奪うようだ。彼はまったく動かなくなった。ほとんど歩けない。そして気難しくなった。週に3回も病院に行って、4時間も拘束されるのだから、当然かもしれない。
(後編に続く。
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工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。