季節の賞翫 飾り花造花工藝作家の岡田 歩さんが綴る、四季折々の行事と草花の物語を月に1回、12か月紹介する連載です。一点一点丁寧に、創意工夫を凝らして作った飾り花を賞翫しましょう。
※賞翫/良い物を珍重し、もてはやすこと。物の美を愛し味わうこと。
10月 不完全な美を慈しむ日本人の心
文=岡田 歩(造花工藝作家)
秋の彼岸を過ぎると、夜が次第に長くなりはじめます。
あたりを美しく照らす月の光。透きとおる秋空に浮かぶ月の姿は格別で、乾いた空気に鮮明な輪郭が描き出されます。秋の夜長に心ゆくまで名月を愉しみたく、「十三夜」を飾る名残の草花をこしらえました。
中国唐代の観月の行事「中秋節」が日本に伝わり、「十五夜の名月(中秋の名月)」となったことはよく知られていますが、「十三夜」はそれほどポピュラーではないかもしれません。
十三夜は旧暦9月13日の夜をさし、2023年は10月27日がその日にあたります。十五夜同様に秋の月夜を愛でる行事で、「後の月(のちのつき)」、そして、一年の最後の名月であることから「名残の月」とも呼ばれることもあるのだとか。日本独自の風習で、月が満ちる少し手前の風情を愉しみますが、不完全なものに美を見いだす趣向に、日本の心を感じます。
「余白の美」、「不均衡の美」、「引き算の美」など、日本には、数多くの不完全の美学が存在します。その満たない部分は、銘々の心に無限に広がる想像の余地を与え、完全性を際立たせます。たとえば十三夜は、月が満ちていくまでの時間を私たちに連想させます。そして満月から再び欠けていく月を思うこともまた、不完全な美との出会いにほかならないのではないか、と私は思うのです。
私は細工物の花をこしらえていますが、野に咲く自然の花の美しさに勝るものはないと思っています。何故なら、時の移ろいとともに花は散りゆくからです。そして、矛盾しているかもしれませんが、その一瞬の感動を捉えたくて、私の心に咲く花の姿を表現せずにはいられない、強い想いに駆られるのです。
天保9年(1838) 斎藤月岑(げっしん)著『東都歳事記』の十三夜の記述では、観月のお供えとして「すすきの花等月に供ず」とされています。地域によって異なると思いますが、江戸時代にも薄(すすき)が飾られていたことをうかがい知ることができます。
『万葉集』では「人皆は萩を秋と言ふよし我は尾花が末(うれ)を秋とは言はむ」(詠み人知らず)、『枕草子』には「秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。」(清少納言)と綴られているように、古来、薄は秋の風雅を色濃く伝えるものとして、数多くの歌や美術の題材となってきました。
薄の穂は、細幅に裁断した絹の布の縦糸を一本一本手作業で抜いて、フリンジ状にしたものをワイヤーに巻き付け、それを数本ずつ束ねてこしらえました。
名残の草花は、薄のほかに、萩、桔梗、竜胆(りんどう)です。薄の姿と引き立て合うように、花の色はそれぞれ異なる白に染めました。竜胆の花弁の先端は仄かに薄紫色のグラデーションに染めています。
観月の宴は、収穫祭を兼ねていたという説もあり、十五夜の名月を「芋名月」、十三夜の名月を「豆名月」や「栗名月」と呼び、里芋、大豆(枝豆)や栗など、その年の秋の収穫に感謝し、祝ったといわれています。 満ちては欠け、欠けては満ちる月の起潮力は、地球との距離が近いゆえに太陽のそれよりも強いそうです。
天体の動きは地球の生き物や自然に大きな影響を与え、古くから人々は自然と月に寄り添った生活をしてきました。近頃では、種まきや剪定、収穫などのタイミングを、月の満ち欠けや天体の動きなどに合わせて行う農法を取り入れる畑もあるそうです。秋の実りに感謝しつつ、豊かな大地の営みが続きますように……と五穀豊穣の願いを薄に添えて、月夜に捧げます。
岡田 歩(おかだ・あゆみ)
造花工藝作家
物を作る環境で育ち幼少期より緻密で繊細な手仕事を好む。“テキスタイルの表現”という観点により、独自の色彩感覚と感性を活かし造花作品の制作に取り組む。花びら一枚一枚を作り出すための裁断、染色、成形などの作業工程は、すべて手作業によるもの。
URL:
https://www.ayumi-okada.com撮影協力/
銀座一穂堂・
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