「グランドツアー」がもたらす創造力
東京藝術大学教授 佐藤直樹18世紀のヨーロッパで、英国の貴族の子弟たちが教育の最後の仕上げとして行った、いわゆる私的な修学旅行のことを「グランドツアー」という。行き先はローマやフィレンツェ、ヴェネツィアをはじめとするイタリアの主要な文化都市で、英国では決して見ることのできない古代やルネサンスの文化をその土地の文化や風習とともに学ぶことを目的としていた。通常、家庭教師同伴で比較的長期にわたることが多く、数か月から数年におよぶこともあったという。
グランドツアーは英国以外でも流行したが、英国における影響は他国に比べて計り知れないほど大きかった。例えば、1734年のロンドンで、グランドツアー経験者たちによって結成された会員制の紳士クラブ「ディレッタンティ協会」(図1)は、「イタリア旅行済み」であることが入会条件とされていたほどだった。
図1 ジョシュア・レノルズ《ディレッタンティ協会の会員たち》
1777-79年、ディレッタンティ協会、ロンドン
ディレッタンティとは「芸術愛好家」を指すイタリア語で、当初は夕食を共にしながらグランドツアーの思い出を語り合うスノッブな会合であったが、次第に、イタリア・オペラや古代遺跡発掘の支援をはじめ、英国にはまだなかった王立美術アカデミーの必要性を説き、設立の原動力とまでなった。
王立美術アカデミーの初代校長には、メンバーで画家のジョシュア・レノルズ(1723‒92)が就任した。つまり、グランドツアーで見聞を広めたことが、美術先進国だったイタリアやフランスに追いつこうとする機運を育み、現在まで続く英国の美術教育システムを確立したのである。
グランドツアーのもうひとつの目的はイタリアの風景であった。17世紀のローマで活躍したフランス人画家クロード・ロラン(1600‒82)(図2)の理想的風景画は、英国で大流行していた。
図2 クロード・ロラン《パルナッソスのアポロとミューズたち》
1680年、ボストン美術館
そのクロードの絵に倣って遺跡を再現した庭を作り上げることに情熱を注いだことで、英国式庭園が誕生するのである。クロードの描いた理想郷がローマにあると信じた英国人たちは、ローマ郊外の風光明媚な土地をこぞって訪れたが、クロードの絵は理想的な架空の風景だったために現実には見つけられず、さらにイタリアの光が強すぎたせいで、絵画とは異なる印象を受けて失望したこともあったようだ。
そこで倒錯的な発想だが、現実の風景をクロード風に映すための携帯鏡「クロード・グラス」なるものが発明された(図3)。
図3 《クロード・グラス》
18世紀、科学博物館、ロンドン
この鏡は、実際よりも暗く映るよう細工されていたので、情緒あふれる風景が現れる。英国人は、イタリアの現実の風景を目の前にしながら、小さな鏡に映る幻影のほうを喜んだのである。こうしてグランドツアーから帰国した英国人たちによって、美意識の転換が起こることになる。旅の途中で体験したアルプスの壮大な風景やイタリアの風景に感動した英国人たちは、ゴシック教会の廃墟や田園風景にも価値を認めるようになり、嵐で揺れる木々が醸し出す「ピクチャレスク=絵のような」と呼ばれるロマン派的な風景を好むようになっていく。グランドツアーで見たイタリアの理想的な風景とは対照的な、自国の風景美が再発見されたのである。
西洋美術史の最大の特徴は、ルネサンスに代表されるように過去の芸術を学び、そこから新しいものを創造することにある。いわば「温故知新」であるが、日本・東洋美術史にはこうした大規模な再生運動が起こることは決してなかった。18世紀の新古典主義も、グランドツアーによって刺激されたひとつの「ルネサンス」現象と言えよう。過去の遺産に触れることで美術家たちの創造力が刺激され、新たな時代の美術作品が生み出されていく。そのような西洋美術のダイナミズムが、ハイジュエリー・コレクションの数々を発端に、21世紀にも巻き起こる可能性があるのかもしれない。
主要参考文献
岡田温司著『グランドツアー18世紀イタリアへの旅』(2010年、岩波新書)
佐藤直樹編『芸術愛好家たちの夢 ドイツ近代におけるディレッタンティズム』(2019年、三元社)
佐藤直樹(さとう・なおき)東京藝術大学教授。1965年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科後期博士課程中退。文学博士。ベルリン自由大学留学、国立西洋美術館学芸課勤務を経て、現職。専門はドイツ/北欧美術史。著書に、『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』(2021年、世界文化社)、『ファンシー・ピクチャーのゆくえ 英国における「かわいい」美術の誕生と展開』(2022年、中央公論美術出版)ほか。
※次回に続く
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