〔特集〕追悼 庭を愛し、日本を愛したベニシアさん 幼い頃から思い描いていた、理想の家を大原の里に見つけたベニシアさん。今年6月、そのご自宅で永眠されました。夫の正さんとともに、築100年の古民家を修復し、庭を育てる中で見えてきた、かけがえのないものとは……。72年の人生を通して追い求めた「自分にとっての本当の幸せ」を美しく、シンプルな言葉で綴りました。庭を愛し、家族を愛し、日本の心を愛した英国人女性、ベニシアさんの言葉は、これからも私たちの心にこだまし続けるでしょう。
ベニシア・スタンリー・スミス(Venetia Stanley-Smith)さんハーブ研究家、エッセイスト。1950年、イギリスの貴族の館で知られるケドルストンに生まれる。19歳のとき、貴族社会に疑問を持ち、イギリスを離れ、20歳で来日。1996年に京都・大原の古民家へ移住し、イギリスと日本の草花が調和する庭を造る。ハーブを使った手作りの暮らしや、生き方を綴った著書が話題になる。NHKテレビ番組『猫のしっぽカエルの手』は100本以上放送された。2023年6月、肺炎のため自宅にて永眠。
最後の瞬間まで、前を見て生き続けたベニシアへ ── 梶山 正(夫・写真家)
一年で最も日が長い夏至の日の朝に、ベニシアは天国へと旅立った。72歳であった。家で彼女を介護してあげるほかに、僕にできることはなかった。住み慣れた大原の自宅で最期を迎えることができたのは何よりである。
まだ1歳半だった息子の悠仁を連れて住む家を一緒に探していた27年前、ベニシアは里山に囲まれた大原のこの古い民家に足を踏み入れたとき、「私はここで最期を迎えたい」とつぶやいた。本当にその家から、彼女は旅立つことができてよかったと思う。
まだ1歳になる前の悠仁を連れて、牧歌的風景が広がる英国の田舎をキャンプしながら旅した。
幼いベニシアが憧れたコテージのような大原の古民家で、楽しい思い出を作り続けた。
1996年に僕たち家族は大原へ引っ越し、ベニシアはその古民家にあった和風庭園でハーブを育て始めた。最初は料理用のローズマリーとタイムを植えていたが、月日が経つうちに200種に増えていった。
そして、彼女にとって初めての著書である『ベニシアのハーブ便り』を2007年に世界文化社から出版した。
けれど最初はハーブの本を作るつもりではなかった。2001年から約2年半にわたり京都新聞に62回連載された『ベニシアの大原日記』というコラムを本にまとめたいと、ベニシアは考えていた。
ところが世界文化社編集部の飯田想美さんに話を持ち込むと「ハーブのレシピを中心に、エッセイをちりばめた新しい内容の本にしませんか」と提案された。こうして著者のベニシア、編集の想美さん、撮影と翻訳の僕とで本作りが始まった。
「ベストセラーを作りましょう」と想美さん。これが初めての本作りのためか、3人とも張り切った。
書斎の窓から見る風景が好きだったベニシア。ハーブ・ガーデンの向こうには、緑豊かな大原の田畑や里山が広がる。
大好きなハーブの本を書く機会を得たベニシアは、勢いが止まらない。朝から晩まで執筆に取り組んだ。一方、僕は料理の撮影に苦労した。山岳写真を専門とする僕は食べるのは大好きだが、料理を撮影するとなると神経がすり減った。また、英文の翻訳にはイライラして、ベニシアによく当たっていた。本当に悪かったと思う。1年で完成させる予定が、ベニシアと僕の仕事の遅さとこだわりのために2年かかってしまった。
『ベニシアのハーブ便り』の出版がきっかけで、彼女は庭のハーブや草花の絵をよく描くようになった。
『ベニシアのハーブ便り』は、実際にハーブ本のベストセラーとなった。苦労したが報われたと、僕たちは喜んだ。書店で本を手にした庭と植物好きのNHK上層部の人のすすめで、ベニシアのドキュメンタリーTV番組『猫のしっぽ カエルの手』が2009年から始まることになった。
当初は約3か月のみ撮影に協力するという話だったが、番組は100編以上制作され、14年経った今でも再放送されている。NHK番組でも他に例がないそうだ。人の心に率直に話しかける飾らないベニシアの人柄が、視聴者の心をとらえたのだろう。
『ベニシアのハーブ便り』のあとも、ベニシアはいくつかの本を書き続けた。本やテレビ番組を通してベニシアが伝えようとしたメッセージの原点は「真の幸せとは何?」であり、「それはどうすればつかむことができるのか?」と読者や視聴者にだけでなく、自分にも問うていたと僕は思う。
「あなたが求めている真の幸せを庭にたとえて言うなら、庭は外の世界にあるのではなく、あなた自身の内側にあるのです」(『ベニシアのハーブ便り』より)。瞑想を通して彼女が理解することができた「真の幸せは、自分自身の内側にある」という真実を、ベニシアは多くの人々に伝えたかったのだ。
ベニシアが旅立ち、一人残された僕は、この家で今呆然と過ごしている。ベニシアは2018年に京都大学医学部附属病院でPCA(後部皮質萎縮症という珍しい神経変性疾患)と診断された。PCAが進むとだんだん目が見えにくくなり、ついには失明する。その頃、家政婦さんが辞めたため、僕が家事をやるようになり、ベニシアと過ごす時間が増えた。僕はベニシアという人間に対し、目をそらすことなく正面からかかわるようになっていく。
2019年夏。家で介護生活をするようになり1年が過ぎた頃。テラスで語り合う僕とベニシア。
やがて2021年7月になると、ベニシアは嫌がっているのに、僕はグループホームに入れた。ケアマネージャーやヘルパーさんの「それが当然の流れですよ」の言葉を自分に都合よく受け取り、逃げのベクトルに向かった。とはいえ「悪かった……」という罪悪感が続いて、僕は毎日面会へ行き彼女を散歩に連れ出した。
約1年後、そのグループホームでベニシアはコロナに感染して肺炎を発症し緊急入院となる。ベニシアは歩けず、食事もできなくなっていた。主治医のすすめでベニシアを大原に連れて帰ることにした。在宅医療生活では、寝たきりでつらいこともあっただろう。
「死にたい」と漏らす日もあった。「ベニシアが死ぬなら、僕も一緒に死にたい」と思ったこともある。彼女がいなければ、僕はどこを向いて生きたらいいのか、わからなくなる不安がある。要するに精神的に彼女に頼っていたのだ。
仕事とやりたいことを捨てて彼女を介護する日々を選んだ僕だが、放って逃げ出したくなることもあった。しかし、これは僕の人生の修業だと思って向き合う努力を続けた。こうして自分に果たされる現実をどう受け止めるかにより、生き方は変わると思う。ベニシアは何もいわなかったが、前向きに進むよう、いつも僕を支えてくれていたように感じる。
訪問診療、看護や介護、入浴介助のスタッフに支えられて、自宅での9か月を過ごしたあとベニシアは天国へ旅立った。PCAと診断されてから4年と10か月が過ぎていた。
この介護生活を通して新たに知ったことや学んだことは多い。また人生についても。この年になって初めてわかったことも少なくない。僕もこの人生を正しく全うしたいと思っている。
「最後の瞬間まで、いつも前を向いて人生を正しく生きる姿を見せてくれたベニシア、ありがとう」。満ち足りた安らかな顔で静かに旅立っていった、ベニシアに深く感謝している。
梶山 正(かじやま・ただし)さんベニシアさんの夫、写真家。共著に『ベニシアと正、人生の秋に』、『ベニシアと正2―青春、インド、そして今―』(風土社)。著書に『ポケット図鑑日本アルプスの高山植物』(家の光協会)など。
心から溢れる言葉を書き留めて
イギリスの貴族の家を離れ、京都・大原で27年間暮らしながら、「本当の幸せ、豊かさとは何か」を問い続けてきたベニシアさん。心から溢れる想いを、美しく、シンプルな言葉で多くの著書に綴りました
本当に豊かな人とは、自分に与えられたものを楽しめる人。The truly rich are those who can enjoy what they have.
植物の世話を通して、自然についてたくさんのことを学べます。庭は、神様に一番近い場所。Looking after plants, you can learn so much about nature. You are closest to God in the garden.
髪を揺らす風や、赤ちゃんの笑顔、美しい花にとまる蝶……ごく何気ないものの中に、本当に美しいものがあるのです。幸せは自分の心次第です。The beauty of this life lies in the simple things like the wind blowing through our hair, a baby’s smile, or a butterfly landing on a beautiful flower. Happiness depends on ourselves.
あなたの心の声に耳を傾けて。Listen to your heart.
ゆっくりと生きていく中で、多くを学んでいくのです。We need to live our lives slowly, and then we learn so many things.
2007年にハーブのレシピとエッセイを織り交ぜた、初の著書『ベニシアのハーブ便り』を上梓。ハーブ本のベストセラーとなる。大原にコテージガーデンを造った経験をもとに書いた『ベニシアの庭づくり』は、英語の原文でも刊行。エッセイ集やNHKテレビ番組を収録したDVDブックを合わせた発行部数は90万部以上となる。撮影/大見謝星斗
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