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工藤美代子さん綴る【快楽(けらく)】第17回「ママ活とパパ活の間を彷徨っても(後編)」

2023.10.12

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潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。前回の記事>> 連載記事一覧>>

第17回 ママ活とパパ活の間を彷徨(さまよ)っても(後編)

文/工藤美代子

津川氏は、たまたま澄子さんの旦那さんが入院していた病院の理事長だった。仕事の関係で共通の知人がいて知り合った。彼は澄子さんより一回り年上の80歳である。妻子はいるが、もともと彼の実家がある関西にずっと住んでいて東京にはいない。孫もすでに成人していた。週末以外の日は津川氏は田園調布で一人暮らしをしている。

功成り名を遂げた昭和の男の典型である津川氏の目には、有能なキャリアウーマンである澄子さんの姿が新鮮に見えた。3回目の食事の時に、津川氏にハワイ旅行に誘われて澄子さんは同意した。旦那さんの介護に明け暮れる生活に澄子さんは疲れ果てていた。精神的にも安定していないのが自分でわかった。そんな澄子さんが女性の友人とハワイへ行きたいと告げたら、夫はすぐに賛成してくれた。たまには息抜きに行った方がいいよと勧める。留守の間は看護師さんや介護士さんに来てもらったし、夜は澄子さんの従妹にあたる女性が泊まってくれた。


実際に津川氏と旅行に行ってみて、澄子さんはいくつかの新しい体験をした。

まず、飛行機のチケットは津川氏が手配してくれた。自分の分は自分で払うと申し出たら、びっくりしたような顔をされた。

ホテルもまた、ホノルルの「ザ・カハラ」のスイートを予約しておいてくれた。2人で3泊の滞在だった。まったく当然のように津川氏は澄子さんに一切の支払いをさせなかった。

旅の最後の日に、津川氏は彼女をシャネルのブティックに連れて行った。そして澄子さんが好きなターコイズブルーのハンドバッグをプレゼントした。もうシャネルのバッグの2つや3つは持っている年齢だと承知しているから、あえて定番ではなくて、珍しい色を選んでくれたのだろう。それは、いかにも大人の選択だ。澄子さんの気分は昂揚した。



ふわふわと雲の上を歩くような気分で成田に着いて、単身で自宅に向かうハイヤーの中で初めて澄子さんは何か変な気持ちがした。もちろん、津川氏には以前よりもずっと強い好意を感じていた。それでも冷静になってみると気になる点がいくつかあった。

まず、ハワイにいる間、彼がとったあらゆる行動はきわめてスムーズだった。それはいかにも手慣れた感じがする。あの年齢で、しかも裕福だったら、愛人を連れてのハワイ旅行が初めてではないことくらいは察しがつく。たとえ不倫であっても、航空券、ホテル、食事などの代金を男性が払ってくれるのは、そう珍しいことではないと思う。だけど、最後に高級ブランドの70万円もするハンドバッグを買ってくれたのは、少し不自然ではないか。なんというか、やり過ぎの感じがする。

あれはパパ活をしている女性に対する人の行動ではないかしらと気づいた。もしかして、たまたま自分は68歳で経済的にも自立しているけど、そうじゃない女性もいる。需要と供給が見合った時にパパ活は成立するのだ。彼は実はパパ活をされることに慣れている男なのではないか。そうじゃなかったら、あんなに気が利くはずがない。

自分はパパ活の対象なのかと思ったら、気分がどっと落ち込んだ。冗談じゃない、私だってキャリアの面では同業者の間で、それなりに一目置かれている。経済的にも精神的にも自立した女のつもりだ。そう考えると津川氏のあの態度は、なんだか納得できない。簡単に言えば、相手に対するリスペクトが不足していないか。シャネルのバッグくらいは自分で買いますと、なぜきっぱり断らなかったのか。やっぱりパパ活をするのは無理なのかと澄子さんはひどく後悔した。

そして宙ぶらりんで、気持ちの整理がつかないままで帰国した。しかしその後も、ルイ君と津川氏に順番に会う日々が続く。夫は何も疑っていない。彼女が仕事で忙しいと言えば、その言葉を素直に受け入れている。だからこそ澄子さんはある不安に取り憑かれた。もし自分がホテルの部屋で急死したら、男たちはどんな行動を取るだろうと気になった。

彼らは日陰の存在だから、すぐに部屋から去ってもらわなければいけない。しかし、ホテルの従業員に自分の遺体が発見されるのは嬉しくない結末だ。だから、男たちにはよく言い含めることにした。もしも自分が急死したら、まずは工藤さんに連絡して欲しいと。あの人は、どうせ旦那の介護があるから、ほとんど自宅にいる。電話で経緯を話せば、いつでもホテルに飛んで来て、後始末のバトンタッチをしてくれるはずだ。

そういう段取りになっているから、「なんとかお願いね」と頼まれた。

本人に拝み倒されて、私は断れなかった。そうこうしているうちに、約束の2時間は過ぎてしまった。次のアポがあるからごめんなさいと言いながら立ち上がった澄子さんは、あっという間に店を去った。

取り残された私は一人でコーヒーを飲みながら思った。なんて贅沢な悩みを、あの人は抱えているのだろう。

世の中には良い不倫と悪い不倫があるような気がする。

いや、もともと不倫はしない方が安全に決まっている。特にもう人生をやり直せない年代になって、失いたくない地位や名誉があるならば、やらない方がいい。そんなのはわかっている。しかし、澄子さんの場合は心のどこかで、世間に対して居直っている部分があるのだろう。これからも延々と続く配偶者の介護を考えたら、誰にも迷惑を掛ける心配のない不倫は許容範囲内だと思っている節がある。後は不測の事態が起きた時に、さっさと動いてくれる友人を一人確保していれば問題ない。

私は別に不倫推進派ではないけれど、彼女がこれまでの人生で築いて来た社会的な信用や金銭的な蓄積を考えたら、2人の愛人がいるのは、さしたる問題ではないように思えた。 それに、もっと年齢を重ねたら、道ならぬ恋なんて夢のまた夢になる。例外的に90代になっても魅力的な女性はいる。しかし、それは稀有な存在だ。

あなたの悩みは68歳の女性にしては贅沢だと私は彼女に何度か言った。それはパパ活によってもママ活によっても満たされないものであるというのは贅沢だと感じたからだ。完璧な不倫なんてあるはずがない。ところが、澄子さんに即座に言い返された。

「私はね、なにも高望みしているわけじゃないの。どうしてもセックスしたいとも思わないし、主人と別れる気持ちもない。だって、介護問題なんて、早い話がお金があれば片付くことよ。優しくて気が利く人を何人か確保してシフトを組んでもらえばいいだけ。主人の名義の貯蓄を使い切るつもりなら、それくらいはなんとかなるのよ。株価だって今は値上がりしているしね」

それよりも心の問題だと彼女は力を込めた。私はしげしげと澄子さんの顔を眺めた。パッと見たところは、せいぜい50歳くらいの若さだ。ふむ、介護も美貌もお金があれば、なんとか手当てできるのかと、私は妙な納得の仕方で、釈然としない自分の気持ちと折り合いをつけた。

じゃあ、彼女はどんな不倫を求めているのかを聞いた。

「私が欲しいのは、やっぱりちゃんとした恋人? 愛人? 何でもいいけど、心が満たされる関係かな。ママ活されるのは情けないじゃない。せめてルイ君が5回に1回くらいでも、あっ、今日は僕に払わせてって申し出てくれたらいいんだけど、いつも平然と私にご馳走になるものだという態度でしょう。津川さんは、過剰に何でも買ってくれようとするし、でも実はちゃんとしたセックスはもうできないのよ。だったらなおさら、デートなんて割り勘でいいし、高価なプレゼントはいらないでしょ。それなのにちっとも私の気持ちが読めないのは私がパパ活のつもりでいると思っている証拠よ。ああ、嫌になる」

いくら説明してもらっても、澄子さんの悩みはやっぱりないものねだりに聞こえる。しかし、現代女性の直面するあまりに多様で複雑な現実を炙り出しているのも事実だ。

日本の社会は富裕層と貧困層の二極化が進んでいるという。金持ちはもっと金持ちになり、貧乏人は、さらに貧乏になる。その中間に位置する庶民の数はどんどん減少しているらしい。女性がキャリアを確立し、しっかり地位や収入も得るようになった社会では、どうやら完璧な不倫をするのは難しくなった。対等な立場の男性と運よく不倫できるチャンスなんて、そうそう転がっていないのだろう。

パパ活もママ活されることも拒否したい澄子さんは、ビジネスケアラーでもある。仕事を続けながら夫の介護もして、さらに理想の不倫を夢見るのは、ちょっと虫が良過ぎるだろう。

私は自分が、仕事と家事と介護で手一杯だからこそ、澄子さんの言葉に全面的には共感を示せなかった。でも、もし彼女がホテルの一室で突然倒れたら、その後始末をしてあげるくらいの友情は持っているつもりだ。

難解な物語が難解なまま固まっているような苦いコーヒーをぐっと飲みほして、私は銀座のレストランを後にしたのだった。

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工藤美代子(くどう・みよこ)
ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。

この記事の掲載号

『家庭画報』2023年10月号

家庭画報 2023年10月号

イラスト/大嶋さち子

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