エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2023年11月号に掲載された第28回、鏡 リュウジさんによるエッセイをお楽しみください。
vol.28 「永遠のつかの間」のお菓子鏡 リュウジ
つい先ごろ、母を見送った。母はモデル出身で、日本で初めて「着付け」の学校を京都で創始した服部和子である。今でこそ日本中にたくさんの和装教室があるが、その嚆矢になったのが「服部和子きもの学院」であると聞いている。息子がいうべきことではないだろうが、京都市長はじめ錚々たる方々に葬儀にご参列いただけたのは母の尽力が認められたゆえであろう。誇りに思う。
京都で着物文化、というと我が家の暮らしもきちんとしていたと思われるかもしれないが、実はそうでもない。着付けには大変厳しかったが、一歩自宅に戻ると実に気取りない牡羊座らしい母だった。忙しさもあって時間を無駄にしない。その性格はお菓子の扱いにも表れていた。
京都のことなので、正月の花びら餅、桃の節句の菱餅、端午の節句の柏餅、6月の水無月、お彼岸のおはぎなどを欠かすことはないが、改まっていただくというのではなく、食後に「今食べなあかんやつやしな」と、唐突に出てくる。
また家族で桃山の餅屋にみたらし団子を買いに行ったことも思い出す。巨大な炊飯器のような保温器から、たっぷりのみたらしがかかった団子が取り出され、筍の皮のようなものに包まれて渡される。急いで持ち帰り、湯気の出るうちに皿にも移さず、皮の包みから直接食べる。餅菓子だけなく上生菓子もそうだ。母は茶道の嗜みもあったが、自宅ではこだわりがない。立ったまま(笑)母がお薄を点てる間に、都をどりでいただいた団子皿(これがたくさんあるのだ)に僕と妹が練りきりを載せ、これまた一瞬で平らげる。せわしなく飾りもない日常である。だが、今となってはそのお菓子ある時間が胸に迫る。急いで点てたお薄がときにだまになっていると、「あれ、茶筅がいつものとちゃうからやな」と言い訳をいって笑っていた母。過ぎ去ったはずのつかの間のお菓子のひとときは今なお、僕の中で続いている。
鏡 リュウジ心理占星術研究家・翻訳家。1968年京都生まれ。国際基督教大学大学院修了。英国占星術協会会員。日本トランスパーソナル学会理事。心理学的アプローチを交えた占星術を日本に紹介し、雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメディアで活躍。またアカデミックな場での教育にも積極的に取り組む。平安女学院大学客員教授。京都文教大学客員教授。東京アストロロジースクール代表講師。著書、訳書多数。
宗家 源 吉兆庵
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