最後の天才ジュエラー ローレンス・グラフ
長い歴史に名を刻んできた名ジュエラーは、必ず一人の天才と、その湧き上がる情熱により築かれてきた──宝石史研究家の山口 遼さんは語ります。そして、現代の天才と称賛するのはローレンス・グラフ氏。その理由に迫ります。
ローレンス・グラフ
最高の宝石だけを求め、最も美しいジュエリーを作ることだけを追い求めてきた男の肖像。妥協を拒否するまなざし、おそらく今後彼に匹敵する宝石商は出ないだろう。80歳を超えたとは思えない、ローレンス・グラフ、最後の名人と呼べるジュエラーである。
歴史に名を残す大宝石店は、いつも一人の天才から始まる
取材・文 山口 遼(宝石史研究家)長いジュエリーの歴史の中で、歴史に残る大宝石店はすべて、強い思いを持った一人の天才によって作られたものです。しかしその多くは、時代がたつにつれて法人化が進み、現存して活躍している宝石店も、すでに歴史の中に消えたお店も含めて、天才たちが持っていた個人の匂いは消えています。
そうしたなかで今日、唯一、一人の人物が店を引っ張り、見事な宝石店を作り上げ、かつての天才たちに匹敵するのが、宝石店グラフを率いるローレンス・グラフその人だけだと思います。
昔の天才たちが共通して持っていた強い思いとは、宝石を美しいと思い、宝石が大好きで、それを使ってどのようにして素晴らしいジュエリーに仕立てるか、という思いです。時には、狂気に近い執念こそが、素晴らしいジュエリーを作り出したことは、今に残る往時の名作をみれば分かります。誰も知らない素晴らしい宝石を探し求め、見事なデザインを考え、すぐれたクラフトマンを見出して、それらを総動員して見事なジュエリーを世に送り出した、それが初代の天才たちの仕事でした。
今日、同じことをやっている宝石商はグラフだけと言っても間違いではないでしょう。個人としてのローレンス・グラフの面白さは、彼は英語で言う所のセルフメイドマン、つまりたたき上げなことで、そのことを今や「21世紀のキング オブ ダイヤモンド」と呼ばれるようになっても、少しも隠そうとしないことです。
過去1世紀で最大のダイヤモンド原石「レセディ ラ ロナ」1109ctはボツワナ採掘。2017年にグラフが入手。
ロンドンには、ハットンガーデンと呼ばれる、ジュエリー業者が密集する地域があります。ローレンスは、わずか15歳の時に、この街の小さな業者の元で、見習いとして働き始め、そしてなんと18歳の若さで独立し、1960年、わずか22歳の年に、グラフ社を立ち上げたのです。そして2年後の62年には最初の店舗を開きました。恐るべき早さですよ。今のボンドストリートの本店は、1993年にできたものです。
宝石業界に限りませんが、こうして若くして業界の裏表を知った人間は、すぐに安易な道を選ぶことが多いものです。つまり儲けることを第一にして、安易で世俗的な方向に手を出しがちになります。しかしローレンスは全く逆の道を選びました。つねに最高の宝石、特に大きな最高品質のダイヤモンドのみを扱い、それを使って、正統的なデザインのジュエリーを最高の職人を使って仕上げる、このことのみに専心したのです。
右は、古くから欧州の王室で大事にされてきたインド原産のブルーのダイヤモンドを、グラフとしては珍しく再カットし、より美しく生まれ変わらせた「ザ ヴィッテルスバッハーグラフ」31.06ct。中央は2010年に発表された世界最大の大きさとグレードのイエローダイヤモンド「ザ ドゥレア サンライズ」118.08ct。左は2010年に発表された世界最大級のピンクダイヤモンド「グラフ ピンク」23.88ct。
これは恐ろしく厄介な道であったと思います。世界の各地で採れる最高のダイヤモンド原石を買い集め、自社のカッティング工場で加工し、その中でもベストのものだけをロンドンの工房に集めて、ジュエリーを作り続けたのです。彼が手をかけた歴史に名を残す素晴らしいダイヤモンドは、数えるだけでも大変なことは、ここに載せられた写真からもお分かりでしょう。
特に素晴らしい、濃いイエロー色のダイヤモンドでは、世界最高最大級のコレクションを持っています。最高のものはなにか、それだけを使う、妥協を一切しない、これを唯一のモットーとして宝石商を続けるのは至難のこと、それをやってのけたのがローレンス・グラフその人です。これはあくまでも私見ですが、おそらく今後の宝石業界の世界を見渡しても、ローレンス・グラフに続く者は出ることはないと思います。彼を最後の天才宝石商と呼ぶのは間違いではないと思っています。
2015年にレソトから入手した299ctの原石から計算され、カットされたのは132.55ctの「ザ ゴールデン エンプレス」を含む見事な9個のダイヤモンド。
ボンドストリートを明るく照らす輝き
世界の大都市には、宝石店が密集している大通りがどこにも有ります。ニューヨークの五番街とマジスン街、パリのヴァンドーム広場とサントノーレ街、そしてロンドンのボンドストリート、我が国の銀座もそれに近いですよね。ボンドストリートは途中で車道が曲がっていて、ニューボンドとオールドボンドに分かれるが、まあ一本道といえるでしょう。
私はいつも、人を連れている時には、このボンドストリートの左右を往復して、すべての宝石店のショーウインドゥを見せて歩くのを楽しみにしています。そして最後にこう尋ねます。どこの店のウインドゥが一番綺麗だった、と。ほぼ全員が、グラフの店が桁違いに綺麗だと、あそこは光り輝いていると言う。なかには、グラフに入りたいと言う人もいますが、まあちょっとと遠慮しています。
ボンドストリートに位置するグラフ本店の威容。ファサードに5個あるウインドゥに飾られたジュエリーの燦きは眩しく、おそらく世界最高峰であろう。
グラフの工房は、ボンドストリートの一本裏の通りにあります。数回、案内されたことがあるのですが、入って最初に仰天するのは、工房の机の上に無造作に溢れているダイヤモンドの山です。詳細に覗くわけでは有りませんが、キラリ、ギラリと光る山をみていますと、ダイヤモンドが希少なものだということが、噓と思えます。もちろん、実際に作る職人の所には、不必要に多くある訳じゃない、しかし素材としておいてあるところは凄い量です。これがグラフの凄みでしょうね。
こうも無造作にグラフ本人の手のひらに載せると、アメ玉にも見えるほど大きいが、どれもグラフが手がけた歴史的ダイヤモンド。色とカットの多彩さにご注目を。
ちょっと細かい話をします。グラフのブローチで、ダイヤモンドを30個使った作品があるとしましょう。これを作るために、ダイヤモンドが何個必要だと思われますか。30個、せいぜい40個ですかと思うのが普通ですよね。そうじゃないのですよ、おそらく10倍の300個以上は必要なのです。
それほどにダイヤモンドという宝石は繊細。微妙な違いを選びに選んで同じ質のダイヤモンドを使う、そこにグラフの凄みがあるのです。そのためには膨大な在庫が必要、それが工房で見るダイヤモンドの山なのです。
だから素人目にもわかるほど、群を抜いて光り輝くウインドゥができるのですよ。ボンドストリートを明るく照らす輝き、それはグラフのダイヤモンドなのです。
トップは132.55ctの「ザ ゴールデンエンプレス」。ネックレス部分はすべてラディアントカットとクッションカットのダイヤモンドを使い、四隅の爪を生かして四角に見えるパーツに仕上げてある。これだけの数の、ほぼ同じ色合いのイエローダイヤモンドを揃えることができるのはグラフだけだろう。