潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。
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最終回 それぞれの女性たちの嫉妬について(前編)
文/工藤美代子
人間って、変われば変わるものだ。自分の性格についてである。
この前ハワイのマウイ島で山火事があった。もともとはハワイ王朝の首都だったラハイナの古い町並みが、灰燼(かいじん)に帰したのである。多くの犠牲者も出た。
自然災害の前に、私たちはかくも無力なのかと思いながらテレビのニュース映像を見ていたら、隣で夫が呟いた。
「あんなに風情があっていい町だったのに。あの海沿いの通りはさ、海風が抜けて気持ちがいいんだよね」
え?と思った。この人はマウイに行ったことがあるのか。まったく知らなかった。もともと私たちは再婚同士で、ずいぶん年を取ってから一緒になった。だから自分が知らない夫の過去があるのはじゅうぶんに承知だった。そもそも、結婚する少し前に夫は大袈裟にもこう宣言した。
「僕はね、語るべき過去がないんだよ。大過去には多少のことはあった。しかし、近過去に関してはまったく清廉潔白だからね。これはもう見事なほど何もないです」
そんなことはどうでもいいと私は思った。
大過去だろうが近過去だろうが、何があってもかまわない。彼の昔の恋愛などは興味もないし聞こうとも思わなかった。聞いたって楽しいはずがない。
きわめて簡単に、「ああ、そうなの」と答えたのを覚えている。
ただ、マウイ島については、私はいつか行ってみたいとずっと思って、何度かその希望を夫に伝えたことがある。その度に夫に断られていた。「気が向かないね」と素っ気なく却下する。だから他のリゾート地には行ったが、マウイ島には縁がなかった。
なんで30年も過ぎてから、ラハイナの海岸通りがひょっこり出て来たのか。
夫はものすごく大過去の時代に、ある男性向けの雑誌で、ヌードグラビアを担当する編集者だった。私の記憶だと「平凡パンチ」を皮切りに次々と洒落た男性週刊誌が創刊された昭和40年前後のことである。彼はまだ20代の初めだった。
特にスマートでも、もてるタイプでもないし、お金もなかった。モデルさんや芸能人といった派手な業種の女性には見向きもされなかったにちがいない。だから、その当時の浮いた噂や武勇伝などは誰からも耳にしたことはなかった。
それでも、今回のマウイ島はかすかに私のアンテナに引っ掛かった。
なにしろヌードのページを毎週手配するのが仕事だから大忙しだったという話はよく聞いた。毎回違ったモデルや景色を探すのである。しかも今の時代のように女性が簡単にはヌードになってくれなかった。もちろん事務所やマネージャーの意向も確認しなければならない。時には、娘さんの家族の同意も必要だ。
ある時期は、カメラマンとグアムに何カ月も滞在して、毎週東京から送り込まれて来るモデルを空港で迎えて、3、4日で仕事が終われば送り返す。翌日には、また次の女の子を出迎える。そんな日々を繰り返していたらしい。
有名な女優さんのヌード撮影となったら、遠くスペインの島まで行ったというのだからご苦労様だ。
とにかく、モデルが急に日焼けをして熱中症にならないように、撮影現場では日傘を差しかけたり、食事や飲料水の補給に走ったり、最後はモデルとマネージャーが免税店で買い物をするのを手伝ってから空港に送る。まるで雑用係のようなことをしていたわけだ。楽しいとはお世辞にも言えない肉体労働である。
苦労話ばかり聞かされていたのだが、マウイ島を懐かしがる言葉を発した夫は、どこかいつもとは違った。その直後にはっとしたような顔をする。それから黙り込んだ。