彼はある有名企業に勤務していた。出世して副社長になっていたのを、私は新聞記事を読むまで知らなかった。
整った顔立ちで、ちょっと中世のお公家さんを思わせるような上品な雰囲気が漂う人だった。
私はその頃、物書きの仕事を始めたばかりで、とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。取材のためにあちこち飛び回って、バンクーバーにある自宅にはほとんど戻らなかった。業を煮やした当時の夫から「僕は火事場泥棒みたいにウロウロと落着かない女性はいらない。ちゃんと家庭を守ってくれる妻と静かな生活を送りたいので離婚して下さい」という最後通告をファックスで受け取ったのは、37、8歳の時だったと思う。
ご無理ごもっともと納得して、離婚に同意した。
そのファックスが来た日に、たまたま内藤さんと食事の約束があった。彼とは恋愛関係ではなかったが、気が合う友達の一人だった。私のバンクーバーの家に遊びに来たこともあったくらいで、前の夫も彼を見て、「いい人だね」と感心してたちまち友達になった。
その晩、銀座のレストランで赤ワインにロールキャベツを食べていたら、何を思ったか、内藤さんが自分の出自について語り始めた。
もちろん食事中に私は、夫からきっぱり離婚したいと告げられたことなどは口にしなかった。可哀想な女だと思われたくないというちっぽけな見栄があったからだろう。
私は彼が千葉県の出身で東大の法学部を卒業したことは知っていた。それ以外の知識はなかったが、きっと教育者の息子さんじゃないかと勝手に想像していた。
「実は僕の生まれた家は田舎の農家で、すごく貧乏だったんです。だから、とても大学になんか行かせてもらえるはずじゃなかった」
ところが、彼は小学生の頃から突出して学校の成績が良かった。そこで担任の教師が間に立って、近郊の富豪の家の養子になる話をまとめた。内藤さんは三男だったので、実家からは反対の声も出なかった。
そのお陰で彼は東大に進学して、テレビ局に就職できた。
昔は、そういう養子縁組があったと聞いたことはある。だが、実際に自分の知人の体験だと知って、私は不思議な思いにとらわれた。まだ小学生の子供は、急激な環境の変化にうまく順応できたのだろうか。成人してからは、どこまで養家に尽くす義務があるのだろうかとか、なんだか気になった。
彼によると、富豪の家には実子の男の子が2人いたので、特に一緒に暮らす義務もなかった。いわば奨学金を出すような気持ちで、彼の学費援助をしてくれただけだったという。
もっと詳しい経緯も話してくれたのだが、今はもう忘れてしまった。
私の前の夫は非常に才気走った話し方をする人だった。日本語も英語も、どこか相手をやり込めて嬉しがるような強いリズムがあった。それに比べて、自分の出自を語る内藤さんの声は、ゆっくりとあまり抑揚も付けない安定した音色だった。こちらの神経が休まるトーンだ。
「ああ、こんな人だったら、一緒に暮らしていて楽だろうな」とふと思った。そして、彼の妻はどんな人なのだろうと初めて気になり、思い切って尋ねてみた。
「奥さま、東大の同級生だった方ですか?」
「いや、そうじゃないんです。家内は同じ町の生まれで、高校を卒業して地元の薬局に勤めていました」
「ああ、幼馴染でいらっしゃいますね」
「それもちょっと違うんですが」
言いかけて、内藤さんは視線をゆっくりと宙に彷徨わせていた。困ったような表情だった。そして言葉を続けた。
「僕の妻はあんまり美人じゃないんです。本当に不美人なんです。それで結婚する時には僕は迷いました」
「何をおっしゃるんですか。そんなこと言うもんじゃありませんよ」
謙遜しているとしても、言っていいことと悪いことがある。プライベートな質問をした自分がいけなかったと私は後悔した。
「いや、本当なんです。僕は結婚する気持ちはなかったんですが、彼女が自殺未遂をしたんです。僕に誰か恋人がいると思ったんでしょう。そしてなんとか命を取り留めたんです」
「まさか」と言ったきり私は二の句が継げなかった。
「つまり、僕のために命を落とそうとしたんだと考えたら、彼女の好意を受け入れざるを得なかった」
なんと珍しいケースだろうと思った。そして、すぐに他の話題に変えた。間違えて通行禁止の道にちょっとだけ足を踏み入れたような気分だった。
あの時から、私と内藤さんは少しずつ疎遠になっていった。
でも、今になるとまた違った光景が見えてくる。内藤さんの妻は目に見えないライバルに激しく嫉妬して、自殺をはかった。紛れもなく嫉妬心に背中を強く押されたからだろう。そのお陰で、彼女は恋い焦がれていた内藤さんの妻の座を手に入れた。これは嫉妬が最終的に無敵のエネルギーを発揮して、自分の欲しいものを勝ち取った例ではないか。つまり嫉妬が人生においてプラスに作用したわけだ。
なるほど、男女の組み合わせって、簡単には割り切れないものだ。残念ながら若い頃の私は、そこまで嫉妬にも多様性があるなんて考えもしなかった。不倫も自殺未遂も、長い人生における寄り道の一つなのかもしれない。私はどうやら、やたらと息せき切って、目の前の道を突っ走って来たようだ。今頃になって気づいても遅いけど、気づかなかったよりは良かっただろう。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。