〔特集〕55周年を迎えた“ねむの木学園” 宮城まり子が築いた心の学校 2020年3月21日、ご自身の誕生日に逝去された宮城まり子さん。障害を持つ子どもたちと寝食をともにし、情熱を注いだ「ねむの木学園」は“宮城さんのすべて”でした。そのスピリットが受け継がれている“心の学校”の今をお届けします。
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宮城まり子さんの“愛の言葉”を再び
ねむの木学園の創立40年目を記念した家庭画報本誌2007年9月号の「宮城まり子という生き方」から一部再掲載いたします。
文=ねむの木学園 宮城まり子障害を持つ子どものお家としてスタートした学園は厚生省の管轄だったために、私が教育に携わることはできませんでした。そのため文部省の管轄である町の学校から分教場としてやってきた先生が授業を行い、それを見て「これはおかしい」と思っても口出しできない私は、とてもはがゆい思いもしました。
そこで私は私立の学校を作り、子どもたちに「教える」という時間ができ、最初の授業ではサン・テグジュペリの『星の王子さま』を取り上げました。象を丸ごと飲み込んでいるウワバミの絵と帽子の絵を見せることで、どんな感想を持つのかを知りたかったんです。
それを見た子どもたちはすごく面白いことを言いました。「オムレツ」、「水たまり」。一番面白かったのは「おねしょ」かな。とても想像力があると思いました。それが生かされるのは絵の世界かもしれないと思った私は、私の母がそうしたように、教室にペンと紙をそっと置いておきました。子どもたちがそれとなくペンをとって描き始めた絵には、個性溢れる豊かな色彩の世界が広がっていました。
『星の王子さま』では、もう一つ伝えたいことがありました。物語の中で王子さまが“キツネを飼いならす”ところがありますね。「僕と仲よくしたかったら、僕を飼い慣らしてちょうだい」と。でも障害を持っている子どもたちに「飼いならす」という言葉は言えなかった。だから「僕ととっても親しくなって、少しずつ少しずつ親しさが多くなって、家族みたいに、親子みたいになりたいなら」というふうに言ったんです。そうすれば少しずつ、少しずつだんだんお話ができるようになるんだよと。人に対するやさしさ、やさしいということは強いこと。子どもたちにはそういう心を持って欲しかったんです。