僕は僕でいい ── 自分を貫く強さは母譲り
「小学校3、4年の頃だったか、初めて自分の声をテープレコーダーで聞いたとき『これ、僕の声じゃない』と思ったんです。でも確かに僕の声なんですよ。思えば、変わった声だなと気づいた、そのときから『人は人、僕は僕』という考え方が芽生えて今につながっているような気がします」
軽やかにステップを踏む姿はどの瞬間を切り取っても絵になる。積み重ねたトレーニングやレッスンの賜物。
「多くの楽曲と出会い、もう僕だけの歌じゃない ── みんなの歌だ」
さらに身近な人の教えも。
「子どもの頃、母からよく赤いシャツを着せられていたものだから、あだ名が『赤シャツ』でした。男の子が赤を着ることなんてめったにない時代だったのに、母はそんな常識を意に介さず『あなたには赤が絶対似合うのよ』と。抵抗もしなかったし、からかわれて嫌だった覚えもないんですけどね。そんな母の遺伝子を受け継いでいるんだから、僕は変わっていてもいい、とずっと思ってきました。僕は僕でいい。たとえば100人のうち99人がAを、1人がBをいいと言ったとすると、僕が選ぶ基準は数ではないんです。99人のAでも1人のBでも、自分がいいと思ったほうを選ぶ。そんなふうに自分を貫く強さを、知らず知らず母から受け取っていたのだと思います」
華やかな赤が似合う少年は、15歳にして芸能界へ。16歳でレコードデビューするやいなやスターダムへの階段を駆け上がり、時代を代表するトップアイドルとしてヒットを重ねていきます。
「僕の場合、楽曲との出会いは本当に大きいですね。10代で『よろしく哀愁』に出会って、『お嫁サンバ』、『セクシー・ユー』、『ハリウッド・スキャンダル』……、20代後半で『2億4千万の瞳』に出会った当時は、まさか今でも多くの人に受け入れてもらえる曲になるとは考えもしませんでした。いい歌だなと思って歌い続けてきたことが今に結びついている。つくづく思うんですよね。『2億4千万の瞳』も『お嫁サンバ』も、もう僕の歌じゃない、みんなの歌なんだ、だから楽しいんだって」
誰が名付けたか「ジャケットプレイ」。キレのあるジャケットさばきは、郷さんの代名詞。
(ここまですべて)スーツ44万円 シャツ12万5000円 ネクタイ3万4000円 ベルト9万3500円 ネックレス12万円 ブレスレット7万7000円/すべてディオール(クリスチャンディオール) 靴/スタイリスト私物
燦然と輝きを放ち、唯一無二の存在感でファンを魅了するスターにもしかし、走り続けるだけではない、密かに葛藤やジレンマを抱えて歩みを止める時期がありました。
「僕がデビューした70年代は、歌いながら踊るなんてありえなかった。どちらかにして、とよく言われたものです。でも、僕には歌って踊ることが合っていたし、動くことが好きなのでダンスも諦めたくなかった。19歳で初めてニューヨークに行ったとき、とにかく大きな衝撃を受けました。当時のアメリカのショービジネスのレベルはすごかった。ボイストレーニングも受けて、改めてここでダンスや歌の勉強をしたいと思い、20代になってからは毎年レッスンに通うようになりました」
2002年には期限を決めずに渡米。40代半ばから3年間をニューヨークで暮らし、歌のレッスンに費やすこととなります。
「前に進みたいんですよ。自分に足りないものをただ吸収したいだけ。僕は昭和のいい時代にすばらしい楽曲たちに出会ったけれど、そこに頼り切らない自分でいたかった。だから興味をもって、自分を常に変えていこうとしたんでしょうね」