●花尾恭輔選手(9区・4年)
人気者の多い駒澤大学の選手の中でも抜群の愛され力を誇る花尾恭輔選手。1年次で全日本大学駅伝、箱根駅伝に抜擢されて以来(出雲駅伝はコロナ禍のため、開催中止)、3年途中まではすべての大学駅伝に出場。駒澤大学の駅伝になくてはならない選手の1人でした。それが暗転したのは、3年次の全日本大学駅伝後。8区を任されて青山学院大学に競い勝ち、区間賞で優勝のゴールテープを切った花尾選手でしたが、その姿は約2ヶ月後、23年1月の箱根駅伝にはありませんでした。
23年11月に鈴木主将、安原太陽選手、花尾選手と4年生3人合同の独占インタビューをさせていただいた際も、怪我や体調不良で苦しんだ22年12月から23年初秋までの辛さを吐露していた花尾選手。最後の最後、箱根駅伝の晴れ舞台に戻ってきてくれました。
――箱根駅伝を終えての気持ちをお聞かせください。「少し前まで、最後の箱根駅伝も走れるかどうか分からない状態だったので、走れたことにまずは安心しました。正直、陸上で就職が決まっていなかったら、確実に陸上の道からは逃げていたかなと。それほど、今まで経験したことがないくらい、キツい思いをたくさんして……。でも、夏合宿で皆が頑張っている姿を見て、『ここで負けるわけには行かない、大学駅伝を皆で勝とう』という気持ちだけで今年はずっと来ました。この箱根駅伝は、感謝の気持ちでいっぱいの大会になりました」。
――長崎・鎮西学院高校の後輩である宮川康之介選手(3年)との給水シーンでは笑顔も見えましたね。「宮川は、本当は付き添い担当だったのですが、一緒に走りたいと自分からお願いして給水に回ってもらったんです。そしたら給水しながら『4年間ありがとうございました』といわれて。泣きかけた……、もう泣かされましたね(笑)。横浜駅付近で往路のメンバーが勢揃いして声援を送ってくれたのも嬉しかったです」。
――大学4年間を振り返っての気持ちをお聞かせください。「それこそ入学前から、『箱根駅伝の100回大会で優勝しよう!』と口にしてきた学年だったので、それが叶わなかったのは悔しいですが、勝ちにこだわり、一つの目標に向かって一所懸命やってきたことは無駄ではなかったと思います。本当にいい経験をさせてもらった4年間でした」。