キム・ヒーコックス(作家・写真家)
「ここが僕たちの夢が叶う場所なんだ」。ミチオはそう言った。
奥さんのナオコと共に購入したその場所は、アラスカ南東部のグレイシャー・ベイの入り口にある小さな町ガスデイビスにあった。
1年後の1996年、ミチオは、ロシア極東の地カムチャツカで凶暴なヒグマに襲われ亡くなった。彼を知る人々にとってそうであったように、私もまたミチオの死の報に打ちのめされた。
ミチオとは、グレイシャー・ベイで1979年に出会って以来の仲だった。お互いに若く、ミチオは写真家を志していた。私はパークレンジャーで作家志望だった ── 写真家でもあったのだが、私にとって常に書くことが最優先だった。そして今もそうだ。
年月が経つにつれ、ミチオと私は稀にしか会わなくなっていたが、再会すれば祝福の時が流れた。一緒に野営を張り、まずいコーヒーを飲み、よもやま話をし、哲学(人生の意味など)を語り、笑った。
私は、アラスカにやって来る前にはるばる南ユタ州の砂漠地帯にネイチャーライターのエドワード・アビーを探しに行った話をした。ミチオは、彼がアラスカに魅せられるきっかけになった写真や写真家たちのことを話してくれた。
私がギターを弾くと、ミチオは曲に合わせてつたない英語で一緒に歌った。彼は、ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」、「サムシング」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」が好きだと言っていた。これらの楽曲は全部ジョージ・ハリスンによるものである。
ジョージは、ビートルズのメンバーの中では一番若く、ある意味、一番賢明な男で、他の3人のメンバーをインドに連れて行って瞑想を経験するきっかけを作ったりもしている。彼もまた、ミチオと同じく、皆に愛されながら、若くしてこの世を去っていった。
ミチオの死後、私と妻のメラニーは、ナオコとガスデイビスの土地について話し合い、ナオコは私たちにその土地を売ることに同意してくれたのだった。私たちはそこに単なるマイホームを建てるつもりはなく、ある種の学校 ── つまり、アラスカとミチオの両方を称えるものを作ろうと考えていた。
ミチオは、森や山や氷河や鯨、それらすべてがつながり合う悠久の自然、深い絆でつながるガスデイビスのコミュニティ ── 大きな庭、ワイルドベリー、舗装されていない道路、誰もがゆっくりと車を走らせ、笑顔で手を振り挨拶を交わし合う静かな暮らしを愛していた。
また、殊に気に入っていたのは、トンガス国有林を取り囲む壮大な原生林である ── 聳え立つシトカ・スプルース(アラスカトウヒ)やアメリカツガが頭上から語りかけ、聖なる助言を与える太古の声が響いてくるかのような場所である。
現在、メラニーと私が過ごすガスデイビスの家と図書館は、36エーカーの広さを誇る「タイドライン・インスティテュート(Tidelines Institute)」と呼ばれる学習センターの一部となっている。
センターでは、かつてのミチオのように、夢を叶える美しい世界に住みたいと強く心から願う大学生を受け入れている。これ以上に素晴らしいことがあるだろうか?
写真・文/キム・ヒーコックス 翻訳/内藤ゆき子