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星野道夫『森と氷河と鯨』のトレイルを辿って。野生生物、人間、森、そして海との無窮のつながり

2024.03.19

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© Lynn Schooler

〔特集〕『森と氷河と鯨』のトレイルを辿って 星野道夫「時間」への旅 
アラスカを愛した写真家として知られる星野道夫さん。アラスカの大自然とそこに暮らす人々を優れた写真と文で伝え続けた。主なフィールドは北極圏。ツンドラの広がる大地を大きな群れで旅するカリブーの写真は、見る者に生命の意味を問いかけた。

その星野さんがもう一つ大きなテーマとして取り組んでいたのが南東アラスカだった。「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」は、リアルタイムに南東アラスカを旅した記録で、1995年に家庭画報本誌で連載が始まる。だが、翌1996年8月、取材先のロシアで熊に襲われるという事故で星野さんは急逝。連載は中断となる。

神話の時代に思いを馳せ、示唆に富んだ言葉の数々が鏤(ちりば)められた未完の連載をまとめた本は読み継がれ、今なお新たなファンを生み出している。


「森と氷河と鯨」の最終的なテーマは「時間」だと星野さんは考えていた。いったい物語はどこに着地しようとしていたのだろう。証言と記録資料で、星野さんが届けようとしたメッセージに迫ってみた。

前回の記事はこちら>>
特集「星野道夫時間への旅」の記事一覧はこちら>>>

森の輪廻について ── ミチオからの1本の電話

鯨をはじめとする星野さんの南東アラスカでの撮影に同行したガイドであり、作家として知られるリン・スクーラー氏。連載テーマにつながるヒントを星野さんに与えていた。

リン・スクーラー(ネイチャーガイド・作家)

アラスカ・ジュノー在住。ガイド兼船長として星野道夫の取材に同行。星野道夫との旅を書いた『ブルーベア』のほか、小説も執筆している。

1991年12月、アラスカは暗く寒い季節を迎えていた。愛艇ウィルダネス・スウィフト号で暮らす私のもとに厳冬の間は滅多に鳴ることのない電話が鳴った。調理台の上で、船外機のキャブレターを分解している最中である。受話器の向こう側から聞こえたのは、ホシノミチオの声だった。

ミチオは、その年の8月に初めて鯨の写真撮影の旅に出かけ、私は、その旅のガイド役を務めたのだ。彼のようなクライアントが、この時期にただおしゃべりをするだけのために電話をかけてくるのは珍しい。何の用だろうと思わずにはいられなかったが、私は丁重に彼が遠征中に撮影した写真の仕上がりについて尋ねた。

「かなりいいよ」力強い返答が返ってきた。少し長い間(ま)をおいてから「リン、鯨と原生林の間にはどんな関係があると思う?」とミチオが訊いた。今度は私が間をおく番だった。ミチオが投げかけたのはなかなかに熟考が必要な問いである。私は、手もとのキャブレターの部品を脇に押しやり、それまでの修理モードからバイオ化学モードに舵を切り替えた。

「ミチオ、アイソトープ(放射性同位体)を知ってるかな?」

「もちろん、それが?」

「海で発見されるリンや窒素の持つある種の成分には、海洋由来を知らせる明らかなシグネチャー(痕跡)がみられるんだ。海洋のアイソトープは、陸上由来のものとは明らかに異なっていて、この違いは不変であって、しかも放射性崩壊もせずに何千年も存続していく……」

私はといえば、この自然事象に関して科学的概念を明確に理解して説明しているわけではなかった。むしろ自分の直感的洞察に頼った見解を即興でミチオに披瀝(ひれき)していたのだ。

「ニシンが海で餌としている小さな生物 ──プランクトン、オキアミ、カイアシ類なんかはすべて、この特別な海洋性の窒素とリンを含んでいるんだ。ニシンはこれらの餌を食べながら、海洋同位体を体内に吸収する。そして今度はニシンを食べた鮭がまたその同位体を吸収して自分が生まれ育った川に遡上して産卵するという生命の連鎖だ」。

私はこの話をしながら、無数の鮭が川を遡上し、熊、鷲、カモメ、カラスなどの大群がその死骸をごちそうにする光景を思い浮かべた。

「熊が鮭を腹いっぱい食べた後、森に戻って歩き回り糞をすると、同位体の一部を下草に残すことになる。これらの動物が残した排泄物に含まれるアイソトープ、特に窒素とリンは光合成に不可欠だから、生態系に重要な役割を果たしていくんだ。また、鷲が幼鳥に食べさせるために運ぶ魚の一部を落としたりするね。するとこれも森の貴重な栄養になるんだ」

ミチオは、ウンウンと感心した様子で聞いていた。

「窒素とリンが毛細管現象によって樹木の根に運ばれていき、それが木の細胞構造の一部となる。森林の地表に生えるブルーベリーや水芭蕉もまたこれら同位体を摂取して鹿に食べさせる。鹿は、その同位体を海から遠く離れた新たな場所に堆積させていく。海洋のアイソトープが森林を通過して内陸に移動するまでには、何百年、何千年もかかっているに違いない。だが、それらは最も近い鮭の川から何マイルも離れた樹木からも発見されている」

私は少し沈黙して、鮭の体内の微粒子が何世紀にもわたって内陸を移動し続ける様子を思い描いた。

「アイソトープは古代のトーテムポールの木からも見つかっているのだよ」

「リン、じゃ、鯨は? 森から鯨はどんな恩恵を受けているのかな?」

私は、少し考えてから答えた。

「木が倒れて腐ると、その同位体は川に流れ込む栄養分の一部となるんだ。最終的に、これらの同位体は川の流域を下って海に戻り、そこで次世代のプランクトンの栄養となる。そこから先は単純だ。ニシンがそのプランクトンを食べ、鯨がそのニシンを食べるというわけだ」

私たちは更に数分間おしゃべりを続け、来年の夏にまた旅に出かけることを約束して互いに別れを告げた。野生生物、人間、森、そして海との無窮のつながりを深く理解しようとするミチオ。彼と会話を交わしながらの旅を毎回私はとても楽しみにしていた。

リンさんの愛艇で移動しながら鯨や森の撮影を行った。© Lynn Schooler

北極圏とはまったく異なる南東アラスカの森に惹かれた。© Lynn Schooler

鮭の大群。死んだ鮭は森に栄養を与える。(写真/星野道夫)

オグロジカの頭骨。死も森の生態系の一部。(写真/星野道夫)

星野さんとリンさん。リンさんの愛艇で南東アラスカの海を移動しながら鯨や森を撮影。同行したリンさんは大きな影響を星野さんから受けた。2点とも© Lynn Schooler

(次回へ続く。この特集の一覧>>

写真展 星野道夫
「悠久の時を旅する」

期間:2024年4月20日~6月30日
場所:北海道立帯広美術館
開館:9時30分~17時(入場は16時30分まで)
観覧料:一般1200円
資料を含めた集大成的な写真展。星野直子さんの講演なども予定。
詳細は美術館のウェブサイトにて。

星野道夫(ほしの・みちお)
写真家。1952年千葉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、動物写真家・田中光常氏の助手を経てアラスカ大学野生動物管理学部に4年間在学。写真家としての活動に入り、主に北極圏をフィールドとして、写真集、エッセイ集など数々の著作を発表。1990年、第15回木村伊兵衛写真賞受賞。1996年、取材先のカムチャツカ半島クリル湖畔で熊に襲われ急逝。享年43歳。

この記事の掲載号

『家庭画報』2024年03月号

家庭画報 2024年03月号

写真(星野道夫の写真)・文/リン・スクーラー 翻訳/内藤ゆき子

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