エッセイ連載「和菓子とわたし」
「和菓子とわたし」をテーマに家庭画報ゆかりの方々による書き下ろしのエッセイ企画を連載中。今回は『家庭画報』2024年5月号に掲載された第34回、高山なおみさんによるエッセイをお楽しみください。
vol. 34 満月と柏餅文・高山なおみ
子どものころ、近所に「うさぎやさん」という和菓子店があった。母が通っていた職場は、家から歩いて5分もかからない幼稚園で、「うさぎやさん」もそのすぐ近く。甘いものよりもお醬油のおせんべいが好きだった母。我が家では和菓子を買う習慣はなかったけれど、ときどき同僚のユリちゃんという先生が、「うさぎやさん」の柏餅をくださった。
白地に緑のうさぎが描かれた包みを見ると、柏餅だ!と思って、うれしかった。うちは8人家族だから、両手で抱えないとならないくらいの重みがあった。少ししんなりとした包装紙に、輪ゴムがぱちんととまっている感じや、経木(きょうぎ)の匂いも懐かしい。
東京の吉祥寺に住んでいたころ、私は和菓子の好きなひとと結婚していた。スーパーの向うの小さな商店街に、家族でやっている和菓子屋さんがあって、たまに、買い物帰りに足を延ばし、彼のために和菓子を選んだ。売り場にはいつも、白い三角巾をきりっと巻いた奥さんかお嫁さんがいて、奥の作業場では旦那さんと、矍鑠(かくしゃく)としたおばあさんが、揃いの白衣で立ち働いているのが見えた。ショーケースの半分は、いなり寿司や五目ご飯のおにぎりが並んでいるような和菓子屋さんだけれど、春は桜餅や道明寺、初夏には涼やかな若鮎、夏ならば水ようかんや水まんじゅう、秋には栗蒸し羊羹に栗きんとん。昔ながらの飾り気のない甘みはどれも慎ましく、やさしかった。なかでも夫は柏餅が好物で、夕飯のあとにテレビを見ながら、「ああ、うまいのう」と、目をつぶって味わった。
生涯を添いとげると当たり前のように思っていた、広島弁を話す彼と別れ、今は海の見える神戸のマンションに、ひとりで暮らしている。
人生は、本当に分からない。海の上にぽっかり浮かぶ満月に、うさぎの姿が浮かび上がると、柏餅のことを思い出す。
高山なおみ1958年静岡県生まれ。レストランのシェフを経て料理家となる。料理と同じくからだで感じることに裏打ちされた文章が多くの人の共感を呼び、著書も多数。現在は神戸で暮らし、料理を楽しみ、自然に触れ、人と繫がりながら、創作活動を続けている。著書にエッセイ『日々ごはん』シリーズ、料理本『新装 野菜だより』、絵本に『みどりのあらし』(絵・中野真典)、『おにぎりをつくる』『みそしるをつくる』(写真・長野陽一)などがある。
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