〔特集〕よみがえる明治のドレス 昭憲皇太后と大礼服の物語 白と赤のバラ文様の織りの周囲に、金銀のバラの刺繡が施されたトレインを持つ荘厳な趣の大礼服。お召しになったのは昭憲皇太后(明治天皇の皇后、美子=はるこ皇后)です。京都の尼門跡寺院・大聖寺に皇后宮から下賜され大切にされてきた大礼服でしたが、経年の傷みにより修復プロジェクトが始動。トップクラスの服飾研究者、技術者たちが世界から集まりました。大礼服はいつ、どこで、どのようにして作られたのか? その解明と修復作業は5年にわたって行われ、ドレスは新たな輝きを得ました。そしてそこに見えてきたのは明治期の日本の歩みそのものでした。
・
特集「昭憲皇太后と大礼服の物語」の記事一覧はこちら>>>
皇室の皆様も深くお心を寄せられて ──
国際チームが集結した大礼服修復プロジェクト
大礼服とは、かつて宮中において着用されていた最も格式の高い礼服。昭憲皇太后がお召しになったこの大礼服のボディスと繫がるトレインは幅1.7メートル、長さ3.4メートル。織りと金のモール糸の刺繡が施されたドレスは重く、歩かれる際には6名の従者が裾を支えた。
明治42年に大聖寺に下賜された大礼服は、裁断され打敷として仏前に飾られた後、再びトレインに仕立てられ何度か公開されていましたが、経年劣化が進んでいました。修復プロジェクトの開始は2018年。完了したのはその5年後のことです。
大聖寺に到着された上皇上皇后両陛下。両陛下は本堂に広げられた大礼服を1時間余りご鑑賞され、関係者をねぎらわれた。
足利義満造営の花の御所跡に建つ尼門跡寺院「大聖寺」
歴代24人の内親王がご入室になり、住持を務められた尼門跡寺院。ご下賜の装飾品、きものなどをほどき、打敷や帳(とばり)に仕立て直し仏前に飾り、供養してきた歴史がある。昭憲皇太后の大礼服は明治42年に下賜され、最初は2枚に裁断され打敷とされていた。
2023年5月には、上皇上皇后両陛下が大聖寺を訪問されました。両陛下は修復に携わった中世日本研究所の所長、モニカ・ベーテさんらの説明をお聞きになり、ドレスの細部まで見入られたといいます。上皇后様は、今回の研究修復事業を含め、尼門跡寺院とその所蔵する文化財の保護を長年にわたり支援されてきました。
2023年5月14日、第33回大聖寺文化・護友会総会にご臨席になられた秋篠宮皇嗣妃殿下。お言葉の中で、大礼服研究修復復元プロジェクトの関係者をねぎらわれ、大聖寺の法燈が末永く守られていくことを願われた。
2015年4月には大聖寺文化・護友会の名誉総裁に秋篠宮皇嗣妃殿下が就任されており、毎年の総会にご出席になって、関係者から各種の修復プロジェクトについて説明をお聞きになるなど、ご支援を続けられています。
ボディスを整えるモニカ・ベーテさん。中世日本研究所所長でプロジェクトの実行委員長を務める。
プロジェクトを率いたモニカさんは開始当初、大礼服がドイツで作られたと考え、ドイツの専門家にコンタクト。また、欧米や日本の服飾に詳しいロサンゼルス・カウンティ美術館の武田シャロンさんの協力で、徐々に海外の専門家たちの連携が広がり、大礼服修復の国際的なチームが築かれ始めます。
立体展示するボディス内のマウントを製作するための型紙を作るロサンゼルス・カウンティ美術館の専門スタッフ。右の人がボディスを採寸し、左の人がそれを書き込んでいる。専門的で緻密な作業。
繻子(しゅす)地(経=たて糸、または、緯=よこ糸を長く浮かせた織りの地)の修理。
立体裁断は洋裁の技術。今回立体保存をするためにボディスの成形には最新のフェルトが使用された。
ボディスの背中部分。白と赤のバラは織り。その上に金、錫、ニッケルでメッキされたモール、スパンコールで緻密な刺繡が施されている。
受け継がれし明治のドレス
〈前期〉昭憲皇太后の大礼服
会期:2024年4月6日(土)~5月6日(月)
〈後期〉明治天皇と華族会館
会期:2024年5月25日(土)~6月30日(日)
※本特集でご紹介した大礼服は前期で展示されます。
会場:明治神宮ミュージアム 東京都渋谷区代々木神園町1-1
TEL:03(3379)5875
開館時間:10時~16時30分(入場は閉館の30分前まで)
入館料:一般1000円 高校生以下・団体900円
休館日:木曜(5月2日は開館)
公式サイト:
https://www.meijijingu.or.jp
(次回へ続く。
この特集の一覧>>)