〔特集〕よみがえる明治のドレス 昭憲皇太后と大礼服の物語 白と赤のバラ文様の織りの周囲に、金銀のバラの刺繡が施されたトレインを持つ荘厳な趣の大礼服。お召しになったのは昭憲皇太后(明治天皇の皇后、美子=はるこ皇后)です。京都の尼門跡寺院・大聖寺に皇后宮から下賜され大切にされてきた大礼服でしたが、経年の傷みにより修復プロジェクトが始動。トップクラスの服飾研究者、技術者たちが世界から集まりました。大礼服はいつ、どこで、どのようにして作られたのか? その解明と修復作業は5年にわたって行われ、ドレスは新たな輝きを得ました。そしてそこに見えてきたのは明治期の日本の歩みそのものでした。
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明治の美を継承する現代のプロフェッショナルたち
「バラはヨーロッパを象徴するロココのデザインです。西洋のデザインを見本にして、日本のジャカード装置の織機で織ったのではないかと思われます」とモニカさん。今回の修復で経糸を置くように加えて留め、緯糸を押さえている。
「裂地(きれじ)などの材料は絹織物産業を通して日本と関係の深かったフランスのリヨンから輸入されたのではないか」
そう考えたモニカさんはリヨン織物装飾芸術博物館の元学芸員であるマリー・エレン・ゲルトン氏に調査を依頼。日本の研究者や専門家にもアドバイスを仰ぎます。
また、モニカさん自身が海外の学会で発表したこともあって、協力者の輪は次々と拡大。英国王チャールズ3世の戴冠式にもかかわった王族の服飾の専門家、ヒストリック・ロイヤル・パレスの主任学芸員、ジョアナ・マーシュナー氏も調査に加わりました。英国王族の大礼服を知る強力な援軍です。
染技連文化財修理所の技術者たち。織りから刺繡まで、傷つけないよう気を遣う緻密な修復作業を担った。
こうして、日本と海外の研究者や専門家とのコラボレーションにより大いに研究が進みました。素材がどこまで日本製なのか、製作者が誰なのか、一切不明だったものが、どうやら明治21~23年頃、日本で作られたものらしいとわかってきたのです。
モール糸は、金メッキされた細い銅線をコイル状に巻いた中に糸を通したもの。刺繡はモール糸とスパンコールで装飾されている。裂地の裏に2枚の和紙が使われ、重みのある刺繡を支えている。刺繡の意匠に膨らみを持たせるため裂地の上に泥紙を入れ、刺繡を施している。
修復は一流の職人が担当しました。文様の浮き出る経(たて)糸の劣化が激しく、緯(よこ)糸が緩んでいたところを渡し縫いで押さえ、外れたスパンコールを一つ一つ取りつけるといった気の抜けない作業です。初の試みとなる立体保存用のトルソーの製作者も来日しました。
ドレスはどこで作られた?
2019年、ドイツのヨハネス・ピーチュ氏(歴史的洋装研究専門家、バイエルン国立博物館学芸員)と大聖寺で行ったボディス調査の際に指摘されたのが上写真の縫い糸。ヨーロッパでは通常3本が強く撚られた縫い糸を使うが、大礼服の縫い糸は2本であまり撚られていないものだった。
下写真は裏地をはがして現れた、金属刺繡を留める補強材としての反故紙(ほごし)。これらは大礼服が日本で製作されたことを裏づけるものとなっている。
受け継がれし明治のドレス
〈前期〉昭憲皇太后の大礼服
会期:2024年4月6日(土)~5月6日(月)
〈後期〉明治天皇と華族会館
会期:2024年5月25日(土)~6月30日(日)
※本特集でご紹介した大礼服は前期で展示されます。
会場:明治神宮ミュージアム 東京都渋谷区代々木神園町1-1
TEL:03(3379)5875
開館時間:10時~16時30分(入場は閉館の30分前まで)
入館料:一般1000円 高校生以下・団体900円
休館日:木曜(5月2日は開館)
公式サイト:
https://www.meijijingu.or.jp
(次回へ続く。
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