〔特集〕[追悼 情熱の指揮者、その一生]小澤征爾 不朽の音楽人生 前編 世界を舞台に、国境も世代も超えて音楽界の架け橋となった指揮者、小澤征爾さん。愛と、情熱と、挑戦によって紡がれた、偉大なる88年の生涯を辿ります。
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写真/ロイター/アフロ
小澤征爾さん(おざわ・せいじ)1935年中国シャンヤン(旧奉天)生まれ。ピアノを学び、成城学園中学校を経て、桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学ぶ。1959年、ブザンソン指揮者コンクール第1位。タングルウッド音楽祭でミュンシュ、ベルリンでカラヤンに師事。バーンスタインの下でニューヨーク・フィル副指揮者。トロント響、サンフランシスコ響の音楽監督などを経て、1973年より29年にわたりボストン交響楽団音楽監督。2002年、東洋人初のウィーン国立歌劇場音楽監督に就任(〜2010年)。日本では、1984年に師・齋藤秀雄を偲び門下生たちと記念コンサートを開催、サイトウ・キネン・オーケストラを組織。1992年、国際的音楽祭 「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現:セイジ・オザワ 松本フェスティバル)設立、総監督。水戸室内管弦楽団総監督、水戸芸術館館長(2013年〜)。新日本フィルハーモニー交響楽団創立(1972年)に携わり、長年活動を続けた。2024年2月6日逝去。
世界が讃えた「オザワ」その喝采は永遠に ──
2002年元旦のウィーン・フィルハーモニーの「ニューイヤー・コンサート」に日本人として初登場した小澤さん。同年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した。© Michiharu Okubo
セイジ・オザワのタクトが引き出す響きに、どれだけ多くの人々が心動かされたことでしょう。常に挑戦し新たな境地を切り拓く姿、成し遂げた数々の快挙に、どれだけの人が胸を熱くしたでしょう。
スポーツ選手のように敏捷でしなやかで、ファッション・アイコン的でもあり、ヒューマンで、闊達で、おおらかな気を発する小澤征爾さんは、我々に大きな音楽の世界を見せてくださいました。
歴史に名を残す名指揮者、演奏家、歌手、作曲家たちと音楽を共にし、同世代の音楽家たちと切磋琢磨しながら、「中国に生まれ、日本に育った僕がどこまで西洋音楽を理解できるか。一生かけて実験を続ける」との思いで学び続けました。
晩年は、体得したすべてを次世代の若い音楽家に伝えたいと、多くの時間を割き、熱のこもった指導をされました。大きな病を克服し、指揮活動に復帰された2014年に、こんな言葉を残されています。
「これからも音楽の勉強を続けたい。おそらくどれだけ時間をかけても終わりはないのだろう。僕はもっともっと深く、音楽を知りたいのだ」(日経新聞「私の履歴書」より)
音楽に身を捧げ、音楽に祝福されたマエストロに、世界中から、カーテンコールが鳴り止みません。