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ヴァシュロン・コンスタンタン、ブレゲ、ブランパン…なぜスイスは、時計の王国となったのか?

2024.06.18

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時計の美しさは機械に宿る

腕時計を象徴する美しさとは、なんでしょうか。それは、光り輝くゴールドケースにカラーストーンなど、その「顔」だけにあるものではありません。高級時計メゾンの真価は、極小パーツを磨き上げ、熟練の時計職人が組み上げた「裏側」に表れます。正確な時間を追い続けて、人類の英知が凝縮された機械式のムーブメントにこそ、時を忘れて没頭できる美しさが宿っています。

オフセンターでデザインされたダイアル内 の小さな円には、ベゼル同様にダイヤモン ドをセット。その中の回転ディスクが日付 を表示します。「エジュリー・オートマテ ィック」(18Kピンクゴールド×ダイヤモ ンド×ムーンストーン、アリゲータースト ラップ〈交換可能な3本が付属。写真の装 着ストラップは別売りカラー〉、ケース径 35㍉、自動巻き)488万4000円/ヴァシュ ロン・コンスタンタン Photo: Fumito Shibasaki〈

オフセンターでデザインされたダイアル内の小さな円には、ベゼル同様にダイヤモンドをセット。その中の回転ディスクが日付を表示します。「エジュリー・オートマティック」(18Kピンクゴールド×ダイヤモンド×ムーンストーン、アリゲーターストラップ〈交換可能な3本が付属。写真の装着ストラップは別売りカラー〉、ケース径35ミリ、自動巻き)488万4000円/ヴァシュロン・コンスタンタン フリーダイヤル0120-63-1755 URL:https://www.vacheron-constantin.com/

1812年、アブラアン-ルイ・ブレゲがナポレ オンの妹でナポリ王妃となったカロリーヌ・ ミュラのために製作した腕時計からインスピ レーションを得たコレクションです。

1812年、アブラアン-ルイ・ブレゲがナポレオンの妹でナポリ王妃となったカロリーヌ・ ミュラのために製作した腕時計からインスピレーションを得たコレクションです。右・「クイーン・オブ・ネイプルズ 8918」(ホワイトゴールド×ダイヤモンド×マザーオブパール、 アリゲーターストラップ、ケース縦36.5×横 28.45ミリ、自動巻き)750万2000円 左・「クイーン・オブ・ネイプルズ 8918」(ローズゴールド×ダイヤモンド×グラン・フー・エナメル、カーフストラップ、ケース縦36.5×横 28.45ミリ、自動巻き)643万5000円/ともにブレゲ(ブレゲ ブティック銀座)電話03-6254-7211 URL:https://www.breguet.com/

ジュネーブを目指して

フランスを逃れスイスで職人技術を極めたユグノー


誰もが認める時計の王国、スイス。現在、機械式時計を作れる時計メゾンは、限られた国にしかありません。ドイツやフランス、日本などに数社ありますが、ほとんどはスイスを拠点とする老舗ばかり。なぜスイスは、時計の聖地となったのでしょうか。

ことの発端は、16世紀のフランスで始まったユグノー(フランスのプロテスタント)戦争です。 小さな機械式時計が生まれる前、時刻を知るための手段といえば教会時計でした。それが「ゼンマイ」という動力が発明されたことにより、時計は人々が持ち運べるほどの大きさに。


こうした技術が発達したのは、南ドイツのニュルンベルクやフランスのパリなど、ヨーロッパ大陸の交通の要地。当時、最先端の情報やモノが集まったこれらの都市では、まだ珍しい「時計」に注目が集まり、商品価値を高めていきます。

16世紀にドイツで製作された「ニュルンベルクの卵」と呼ばれる手のひらサイズの機械式時計が、携帯型時計の始まりだといわれています。 正確な時間を知ることができる携帯時計の需要は日に日に高まり、これらの地では時計職人が集まり時計工のギルドを形成しました。鍛冶工や宝石工と比べ高度で緻密な専門知識を必要としたため、当時の時計職人は最高水準のシンクタンクだったといえるでしょう。

こうした時計技術の繁栄に影を落としたのが、フランスやドイツの宗教弾圧です。ドイツに始まった宗教改革運動は各国に広がり、ジャン・カルヴァンの思想がフランスでも勢力を拡大。プロテスタントはカトリックから「ユグノー」と呼ばれ、反体制派として弾圧されることになります。高度な知識を有する時計工も当然、その対象に。国外追放を余儀なくされ、カルヴァン派の本拠地であるスイスのジュネーブへと、多くのユグノーが亡命しました。

ジュネーブからスイス各地に広がっていった時計職人

フランスから亡命したユグノーによってジュネーブの人口は元の2倍、2万人以上に。こうしてジュネーブにおける時計産業が定着していきます。

もともとジュネーブは貴金属を中心とした宝飾細工が盛んで、美意識の高い職人の宝庫でした。しかしカルヴァンの宗教革命により富をひけらかす贅沢品の使用が禁止されると、職人たちの興味は豪華な貴金属から実用品としての時計作りに。

そこに手先が器用な時計職人のユグノーが加わることによって、ジュネーブは懐中時計を作る職人で飽和状態になります。するとジュネーブの商人や金融業者は、天然資源の豊かな山岳地帯であるジュウ渓谷の開発に着手。そこに起業家精神に駆り立てられた時計職人たちが移り始めます。

1735年には、世界最古の時計メゾンといわれる「ブランパン」の創業者ジャン・ジャック・ブランパンが、1755年には「ヴァシュロン・コンスタンタン」創業者のジャン・マルク・ヴァシュロンが、この地に工房を開きます。

ジュネーブからジュウ渓谷に向かった先の、ラ・ショー・ド・フォンやヌーシャテルといった都市は、今でも多くの時計メゾンが社屋を構える時計産業の中心地です。時計の精度を飛躍的に高めたトゥールビヨンなどを開発し、時計技術の進歩を2世紀早めたといわれる天才時計師アブラアン‒ルイ・ブレゲは、ヌーシャテルの出身。ユグノーの血を引く彼は、15歳の時にパリにわたり、ヴェルサイユの時計職人に弟子入りした後、フランスで大成功を収めます。

1747年、スイス・ヌーシャテルに生まれたアブラアン-ルイ・ブレゲは、母親の再婚 相手が時計師だったことが縁で時計職人の道に。1775年に、フランスのシテ島に自身の 工房を開くと、時計の歴史に刻まれる大発明を次々と実現していきました。

1747年、スイス・ヌーシャテルに生まれたアブラアン-ルイ・ブレゲは、母親の再婚相手が時計師だったことが縁で時計職人の道に。1775年に、フランスのシテ島に自身の工房を開くと、時計の歴史に刻まれる大発明を次々と実現していきました。

マリー・アントワネットの時計を製作したことでも有名ですが、フランスとスイス両国の歴史を考えれば、彼の辿った道のりは非常に興味深いものだといえるでしょう。


この記事の掲載号
『KATEIGAHO JOURNAL(家庭画報 ジャーナル)』
2024年6月8日発行号(非売品/Free)

家庭画報ジャーナル

『KATEIGAHO JOURNAL(家庭画報 ジャーナル)』は、雑誌『家庭画報』より発行する定期タブロイドメディアです。ワンテーマに特化した内容で、皆さまをラグジュアリーな世界へご案内します。

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撮影/Fumito Shibasaki 〈Donna〉 構成・文/市塚忠義

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