〔特集〕佐々木蔵之介が行く「南イタリアの旅」(後編) ウクライナ、パレスチナ......今も続く戦争。⼈類は戦争を終わらせることはできないのか? 今からおよそ800年前、この問いに⾼らかに「NO」と宣⾔した⼈がいた。神聖ローマ皇帝・フェデリコ2世(1194~1250年)。時は中世。キリスト教徒とイスラムの戦争「⼗字軍」が泥沼化していた時代。味⽅のはずの教皇から「破⾨」を受けてでも平和へと邁進し、あっと驚く⽅法で敵のリーダーと⼼を通わせ奇跡の講和を実現したフェデリコ。そんな破格の皇帝をこの夏舞台で演じる佐々⽊蔵之介さんが陽光に満ちた南イタリアを訪れ、フェデリコの⾜跡を辿った。
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「奇跡の平和」を実現した天才皇帝の⾜跡を辿る
「美術館? 何かの劇場? お城って権力を誇示するものだけど、ここにはそれを感じない。迎え入れられている感覚がある」。
佐々木蔵之介(ささき・くらのすけ)1968年京都府生まれ。2000年NHKテレビ小説『オードリー』で注目される。以降確かな演技力でシリアスからコメディまで、舞台、ドラマ、映画で幅広く活躍。映画では2015年日本アカデミー賞優秀主演男優賞、2020年同賞優秀助演男優賞を受賞。NHK大河ドラマ『光る君へ』、テレビ朝日『Destiny』に出演中。自ら演劇ユニット「Team申」を立ち上げ、『狭き門より入れ』『君子無朋』などを上演。2024年8月から舞台『破門フェデリコ~くたばれ! 十字軍~』で主演を務める。ファンサイト「TRANSIT」URL:
https://sasaki-kuranosuke.com/ 八角形に託された夢【カステル・デル・モンテ】
謎だらけの城が今に伝える平和への願いと多⽂化の喜び
緑に囲まれ小高い丘の上に建つ、城壁を持たないカステル・デル・モンテ。Photo/iStock
「“平和を”と声⾼に叫ぶよりも、こうしてお互いの⽂化を楽しみ⼀緒になれること、それこそが平和だと思う。しかし、塔も8つ、部屋も8つ。どんだけ8やねん」── 佐々木さんフェデリコがエルサレムでの奇跡の講和後に、イタリア南部プーリア州に築いたカステル・デル・モンテ。ユネスコの世界遺産に登録され、1セントユーロの裏面にその姿が刻まれている。
だがこれほど謎に満ちた城もない。濠も城壁もなく、戦う機能を持たないこと。何のために建てたのか記録がないこと。
象徴的な八角形の吹き抜け。ここで拍手をして音の響きを確かめた佐々木さん。フェデリコはヨーロッパ、アラブなど古今東西の文明・文化を尊重し、文学、芸術、科学技術を民に広めた。その試みはルネサンスの先駆けともいわれている。
最大の謎は「8」──壁も吹き抜けも八角形。部屋の数も8つ。なぜ8なのか? 古来多くの推論が繰り広げられてきたが近年、興味深い説が浮上した。
エルサレムにあるイスラムの聖地「岩のドーム」。その形は、八角形。フェデリコはイスラムに対する友愛の証として岩のドームと同じ形の城を建てたのではないか……。
実際この城にはアラブ風の蒸し風呂や他に類を見ない水洗トイレなど、イスラムに学んだ水利技術を生かした設備が多い。まさに「平和の城」。
見晴らしがよく、夕暮れ時には美しい水平線を見渡せる。そのマジックアワーの景色を思わず写真に収める佐々木さん。Photo/iStock
フェデリコが自らの城で特に愛したのが音楽だった。2022年に、フェデリコの宮廷で詠まれたものと判明した歌には、こんな一節がある。「遊びと笑いは礼節ある駆け引きの武器となってくれますから」。当時から伝わる古楽器リュートの音色とともに、歌が吹き抜けの中庭に響き渡り、佐々木さんも聞き惚れた。
八角形の吹き抜けも、その反響のよさから音楽演奏のための空間とも考えられており、今でも演奏会が行われる。
アラブから導入された楽器と、ヨーロッパ伝統の楽器が織りなす二重奏。それは平和がもたらした音楽だった。
画期的な法典が誕生した【“フェデリコの町”メルフィ】
現代にもつながる先進性町に息づく皇帝の記憶
11世紀建立の大聖堂が小さな町を見下ろすように建つメルフィ。こぢんまりとした美しい町の周囲には、特産物の栗のほか、オリーブやぶどう畑が広がっている。
「せっかく平和になったのだから、みんな健康に、恐れず生きてほしい。そう願っていたんじゃないかな」── 佐々木さんイタリア南部バジリカータ州の小さな町、メルフィ。エルサレムでの無血開城から2年後、この町でフェデリコが発布したのが、「メルフィ法典(シチリア王国法典)」だ。
中世ヨーロッパにおける最初の国法典で、その後およそ500年間、イタリアでは基本法として用いられたほど画期的な法は、現代の我々の暮らしにも大きな影響を与えている。
〔医学・薬学〕アール・デコ調のガラス細工や天井装飾も美しい、メルフィに現存する最古の薬局。
〔医学・薬学〕店主のカルルッチ氏は大のフェデリコびいき。「フェデリコは医薬分離も実現したし、バラバラだった薬の“定価”を設けた。インチキな薬局がボロ儲けできなくしたんだ」。
たとえば「薬局」。それまで医薬は未分離で、ニセ医者やニセ薬が横行していたが、フェデリコは医薬を分け、専門の大学で学び、資格を持つ者だけが医師、薬剤師になれるように定めた。
〔宗教〕カトリックの権威のもとでは密かに信仰するしかなかったため、洞窟に築かれたギリシャ正教の教会。
〔宗教〕フェデリコは信仰の自由を認め、自らが死者と面会する壁画をそこに描かせた。“死ねば立場も宗教も関係ない、現世を楽しめ”というメッセージだといわれている。赤いマントは皇帝の印。
宗教の面でも、カトリック教徒にしか認められていなかった民の権利を、イスラム教やギリシャ正教の信徒にも与えた。ギリシャ正教の信徒が築いたメルフィの教会の壁画にはフェデリコの姿が描かれている。教皇に反発したフェデリコだが、宗教を超え、国籍を超えて人々に支持され続けた。
〔農業〕「メルフィといえば法典と栗」といわれるほどの栗の名産地。イタリア最大の栗林が広がり、マロンチーノと呼ばれるアラビア原産の栗(写真)を栽培している。
〔農業〕調味料、酒、菓子など多彩な栗製品は地元の名物(写真)に。
貧民への施策も手厚く、裁判の際に無償で国選弁護人がつくようにしたり、農業面でも、講和したアラブから栗を輸入、国有林で栽培し、麦が不作のときに備えた。
その結果、メルフィは現在、イタリア最大の栗の産地となっている。傑出したリーダーがもたらした平和。「フェデリコの町」を名乗るメルフィの人々に、今も彼は愛されている。
旅の終わりにフェデリコに教わったこと─ 佐々木蔵之介
南イタリアの旅を振り返る佐々木さん。
フェデリコの石棺に収められた布にはアラビア語で「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」という言葉が記されていたというフェデリコは、皇帝となるべくして生まれたときから、自分の使命を考えていたと思う。
自分のおじいちゃんも命を落とした十字軍。こんな戦い、いつまで続けるのか? 終わらせられるのは、自分しかいないのでは? だからアラビア語も学んだし、絶対に戦わずにエルサレムを手にすると決めていたのではないだろうか。
フェデリコの棺に花束とともに祈りを捧げて。
とかく戦争に向かった人物や国を広げた人物を「英雄」として崇めがちなのが歴史だけれど、フェデリコのように平和にすると決めて、実行したことこそ、現代のリーダーたちのヒントとなるだろう。
そして彼が魅力的なのは、平和にした「あと」は、訪れる誰もが感嘆する八角形の城を築いたり、何百年経っても使われる法典を作ったり、「これが平和だ。平和のほうがいいだろう?」ということを全力で表現していること。
「平和」は平らに、和むと書く。勝者が敗者の上に立ち復讐の連鎖を生むのではなく、平らに、皆で、和む。
フェデリコやその妻たち、シチリア王国を治めた母方の祖父のルッジェーロ2世らの石棺が安置されているパレルモ大聖堂(カテドラル)。
自分が携わる演劇やドラマ、映画などの娯楽が存分にできるのも、すべて、平和あってこそ。戦争よりも、平和のほうがよい。そんなシンプルだけど最も大切なことを、彼の生き様から学ばせてもらった。