【連載】阿川佐和子のきものチンプンカンプン
形見分けとなったお母さまのきものと積極的に向き合っていくことを決意した阿川佐和子さん。“チンプンカンプン”なことばかり……と迷走しながら、歩みはじめたきものライフを、小粋なエッセイとともに連載でお届けします。
連載一覧はこちら>>>「夏きもの挑戦宣言アゲイン」── 阿川佐和子
昨年の夏、挑戦宣言をした際に、阿川さんが“じっと見つめていた菊市松模様の麻のきもの”を念願かなって、今年の撮影で着用。
去年の夏、本連載にて「夏きもの挑戦宣言」をした。せっかく母が残してくれた夏きものがたくさんあるのだから、バンバン着ようではないか。暑い暑いと逃げていては、いつまで経っても簞笥の肥やし。ここは思い切りが大切だ。着るぞ! と、わめいてみたものの、結局、本連載撮影のとき以外、プライベートで夏きものを着ることはなかった。
そして今年も暑い季節がやってきた。去年同様、猛暑の予感がする。でも着るぞ! 今年こそ着るぞ。五月あたりからずっとそう叫んでいるが、もう七月になっちゃいました。
先日、食事会に招かれた。暑い日ではあったが、お店に入ってしまえばエアコンは効いているだろう。チャンスだ。思い立ち、簞笥を漁って白い井桁模様の単衣を取り出す。いかにも涼し気ではないか。広げてハンガーにかけてみる。すると、襟元が汚れていることに気がついた。これはファンデーションの汚れか。とはいえ、先日、染み抜き職人の家田師匠に教えてもらったベンジンを使っての染み抜きを、これからする時間はない。困った。
ならば別のきものにしよう。続いて取り出したるは、麻地のからし色縦縞柄の単衣である。軽くてサラサラしている。このきものに合う夏帯はどれかしら。ためしにきものをTシャツの上から羽織って、腰紐をいい加減に結び、姿見の前で帯を合わせてみる。黒ではちょっと重いわね。ピンクじゃ甘すぎるか。また簞笥に頭を突っ込む。ようやくこれぞとおぼしき薄茶色と赤の格子柄帯を見つけたが、ん? これは半幅帯? いや、付け帯か? あら、こっちの赤茶色の夏帯のほうが粋かな。うーむ、迷う。
で、帯締めはどれにしよう。あれやこれやと迷ったり合わせたりしているうち、汗が噴き出してきた。
「そろそろ、出かけたほうがいいんじゃないですか?」
秘書アヤヤの声がする。時計を見る。着付けをしている時間がなくなった。無念。きものを諦めて、洋服で出かけることにした。
しかたあるまい。次の機会を狙うことにしよう。しかしそんなことを言っていると、また夏きものの季節を逃してしまう。去年と同じ体たらくぶりにはなりたくない。
以前にも書いたが、去年の夏の終わりに女性俳人先生に懇願された。
「せっかくきものの連載をしていらっしゃるんだから、書いてくださいよ。毎年、この猛暑でしょ。十月から袷にしろという慣習は無理だと思うんです」
まことにおっしゃる通りである。俳句の先生のみならず、きもの好きの方々から同じような意見をその後もいくつか耳にした。私とて是非、そう願いたい。単衣は六月から九月までと法律で決まっているわけではないのだから、そのときの気温や気候に合わせて臨機応変に選べばよい。きものに詳しい編集者のカバちゃんもそう言ってくださった。
秋刀魚だってブリだって、海水温が上がったら、住み慣れた海を離れて北へ引っ越しをしているではないか。人間も昔ながらの決まり事に縛られず、季節感を念頭に置いた上で、単衣と袷を上手に着回すことはできるはずである。よし、十月になっても猛暑が続いたら、夏きものを着てやろうかしら。そう考えると、夏きものを着られる時期がだいぶ延びそうな気がしてきた。余裕が出てきたぞ。むほほ。
というわけで、今回、夏きものスタートライン直前までたどり着いて学習したこと。
冬きものより夏きものの事前準備は早めにするべし。ただでさえ暑いのに、焦るとなおさら汗が止まらなくなる。じゅうぶんに余裕を持って着つけましょうね、私!
高原を艶やかに染めるニッコウキスゲのような黄色の帯が、阿川さんの笑顔と響き合うよう。
無地感覚の帯に、帯締めの組み模様がシャープな印象で映えて。
草履の坪にも色をささず、すっきりと涼やかな足もとに。