ネガティヴなひと
不思議なもので、ある年齢に達してから、なぜか若い友人が増えてきた。
以前は同世代の仲間とつきあうことが多かったのだが、そういう友人が先に逝ってしまったこともあるだろう。
あるいはライバル意識などもたなくてもすむ、異次元の相手と思われているのだろうか。
きょうも大学を出て、就職したばかりの青年が、ちょっと相談があるんですが、とやってきた。
結婚相手の気になる点
仕事場の近所のカフェで話をきくことにした。ちゃんとした企業のサラリーマンのくせに、イタリアの靴などをはいて、モラビトのショルダーバッグなどをさげている。
「じつは結婚しようと思ってるんですけど」 と、カンパリソーダを飲みながら言う。
「へえ、結構な話じゃないか。それで、なにか問題でも──」
「そうなんです。学生時代からつきあって、気心のしれた相手なんですけどね」
「ふむ、ふむ」
「とってもいい人なんですけど」
「はっきりしろよ。なにが問題なんだ」
「一つだけ、どうしても気になるところが」
気になるところが一つだけ、というのはめずらしい。どんな相手だって、二つや三つ、いや、五つぐらいはあって当然なのだ。長くつきあってきた相手ほど、気になる点というのが、おのずと見えてくるものなのである。
「聞こうじゃないか」
しばらく黙っていた彼は、意を決したような表情でポツンと言った。
「ネガティヴなんですよ」
「ネガティヴ? なにが?」
「すべての発想が、です」
「たとえば?」
「きょうイツキさんとお会いするんだ、と言ったら──」
「あたしも行く、とか」
「いや、そうじゃないんです。眉をひそめて、こう言いました。きっとお忙しいのにご迷惑なんじゃないかしら、って」
「ふーん」
「つねに心配そうに何か言うんですよ。いつものカフェに行こうか、って誘うと、土曜日だからきっと混んでるんじゃないかしら、とか。そんなこと、行ってみなきゃわかんないじゃないですか」
「うーん」
「なにしろ週末に会うなり、あなたの髪の毛が変、とか、その服にその靴はちょっと、とか。ぼくが就職したときも、すごい競争率突破して入社したのに、外資系はどうかしらね、って首をかしげたり──」
「要するに、イイネ!って言ってくれないんだな」
「そう! そこなんです。気づかってくれる気持ちはわかりますよ。でも、日常のことすべてにつけて眉をひそめられるんじゃ──」
「たしかに」
「ぼくは彼女を愛しています。でもなあ」
と、その青年は首をすくめて溜め息をつくのである。
成るようにしか成らないのが人生
私には彼の気持ちが痛いほどわかった。物事を楽観的にとらえる人と、なぜかすべてをマイナス的な発想で反応する人と、どちらが幸福か、などと言っているわけではない。
世の中は、しょせん成るようにしか成らないのだ。思い通りになる人生など、あるわけがないではないか。
万が一の幸運もあれば、信じられないような失敗もある。
うまくいかなかった時がいやだから最初から期待しない、という人もいる。努力によって報われることは多いが、また報(むく)われない努力もある。それを歎いても仕方がない。
「いちど彼女に会ってみてくれませんか」 と、彼はうつむきながら言った。
「彼女はいままで、自分のネガティヴな発想を他人に指摘されたことがないんじゃないのかと思うんですよ」
「会って、ちょっとしゃべって、その人の人生観が変るなんてことは、ありえない。無理だと思うよ」
「それじゃ、ぼくはどうすればいいんですか。一生ずっと彼女のネガティヴ・キャラにつきあって生きるなんて、とてもじゃないけど」
「人は変る、と信じることだね」
「相談しなきゃよかったなあ」 と、彼は溜め息をついてつぶやいた。
「なにか人生観が変る薬とかってないもんですかねえ。ぼくは彼女を愛してるんです」
「うーむ」
人の性格というものは、遺伝的な要素も少なくないのではあるまいか。彼女のすべてにわたってネガティヴな姿勢は、そう簡単に変えることはできないと思う。
また、そうすることが必ずしも幸せになる道だとも考えられない。思い悩む青年を前にして、なすすべもない人生の先輩だった。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》このところ身辺のモノを整理しています。押入れから古いカバン類が山のように出てきました。バッグや、文房具や、どうしてこんなものを大事にとっておいたんだろうと、首をひねりながら処分しています。モノを処分することが、こんなに大変だったとは!