日誌に書き綴ることで発見し、辿り着いた境地羽生 日誌は毎日書かれていたんですか?
塩沼 はい。999日まで1日も欠かさず書いていました。千日回峰行を始める前に、どんなプレッシャーやストレスが来ても自分に負けず「いくぞ!」という気持ちで朝、修行に向かった日の日記には白丸、「今日は行きたくないな……」と感じたら黒丸を書き残すことにしていたのですが、ネガティブな気持ちで行に臨んだ日が1日もなかった。すべて白丸。そこが、今でも自信につながっているところなんです。
羽生 それはすごい。書くことで「明日もやろう!」とメンタルを支えたり、自分を変えなきゃ、と思われた効果もあったのでしょうか。
塩沼 それもあるかもしれませんね。あとは、そのとき感じた想いや気づきを忘れないために毎日書き留めていたんです。
羽生 阿闍梨さん、一緒です。完全にアスリートですね(笑)。スケートのコーチに「こうやったら跳べたという感覚をその日のうちにノートに記しておきなさい」と指導を受けて、僕も小さい頃から書いていました。昔からスケート
ノートに書き残すことが習慣になっているので今も気づいたことを綴っているんです。
塩沼 なるほど。羽生さんが自分の内面を表現する言葉に、世界中の方々が共感する力があるのはその積み重ねが原点なんですね。スケートノートに向かうときは、ポジティブな気持ちで書かれることが多いのでしょうか?
羽生 僕はネガティブはネガティブで全部受け止めてしまおう、認めよう、と考えていまして。人にネガティブな気持ちをぶつけるのはよくないので、スケートノートに全部書く。書いて破いてポイ、終わり! というパターンは時々ありましたね。破いたノートのページ数だけ煩悩を捨ててきたなと思っています(笑)。
塩沼 いい方法ですね。仏教の教えでも一番の悟りは何かというと、執着を捨てることなんですよ。「八風吹けども動ぜず」という禅語が今、私の心にぴたりとはまっているのですが、自分の心を乱す事象である八つの風(利益、衰退、陰口、名誉、称賛、悪口、苦、楽)が訪れると、人間どうしても心が揺れ動いてしまう。もちろん、一時的には反応して乱されることもある。大切なのはそのことにずっととらわれないようにすること。すべてを放下(投げ捨てる、捨て切る)して、新しい境地と出会うことが人間の目指すべき生き方、という教えなのですが、羽生さんがなさってきたことはまさにそれですね。私もこれからそのやり方でいきましょう。「今日1日でこんなに書いて捨てるの?」なんて、すごい量になってしまったりして(笑)。
羽生 そんなはずないです(笑)。
本堂前に佇む羽生さん。
薪の上でのんびりお昼寝中の猫。今、お寺には地域猫が十数匹ほど暮らしている。
お庭を歩きながらも話に花が咲く。