100歳の現役お坊さんと100歳の現役スケーター羽生 でも僕は、小さい頃から変な子だった自覚はあるんですけどね。小学5年生で千日回峰行をやろうと決意するなんて、阿闍梨さんもやっぱり相当変な子ですよ(笑)。もしもですが、千日回峰行の番組を初めて見た当時に戻ったとしたら、また同じ決意をされますか?
塩沼 (即答で)はい。生まれ変わっても絶対にまた同じ道を歩きますね。
羽生 すごいですね。僕はできたら違う道がいいな。もし輪廻転生があるのだとしたら、この人生はスケートにすべてを捧げられるだけ捧げて、もう完遂した! くらいまでやり切れたらいいかなと思います。まあ、来世ではアリになっているかもしれませんが(笑)。
塩沼 そんなのアリですか!?(笑)。私は今、朝起きてから夜寝るまで毎日楽しいんですよ。お坊さんって80歳過ぎてからいい仕事をすることが多いのですが、人生は登山だと考えると、それこそ56歳の私なんてまだ2合目付近を歩いているようなもの。命をいただいてからここまで、結構いい精神状態に整えられてきたと感じているので、80歳まではこのまま勉強を重ね、100歳まで最前線でお仕事しようと決めています。
そして、これは私の欲なのですが、今世をまっとうしてあの世に行ったとき、神仏やお師匠さんに「よく頑張ったな」とひと言言われたい。皆さんの幸せの一助になるべく、困難な道を選びながらも挫けずに歩き続けている原動力はそれなんです。羽生さんは、生きる意味、ご自身の役割についてはどうお考えですか?
羽生 自分が今生きている意味や役割などについては、それこそいろいろ考えます。世のため人のため、とまではいきませんが、誰かのために存在していることが自分の生きる意味なのかなと。そのツールが僕にはたまたまスケートで
あり、スケートによって皆さんと繫がることが自分に課された今の役割だと感じています。
塩沼 なるほど。私は80歳までが学びの時期で、100歳までが最前線とお話ししましたが、羽生さんはこれからどうありたいですか?
羽生 100歳まで最前線ですか。100歳の現役スケーター、すごすぎですよね(笑)。今、僕自身が絶賛変わり中なので、正直、この先が一番想像できない時期ではあり……。自分がぐんぐん変わるとともに、生きている実感を感じているのは確かです。スケートは体を使うものなので、怪我も含めて、いつ何が起きてどこで終わってしまうかはわからないですが、その時々で自分なりの役割を、そこに存在する意味をしっかり感じられるような生き方ができていたらいいなとは思いますね。
塩沼 変化を実感されているのですね。辛いことが起きたら、どう向き合っているのですか?
羽生 落ちるところまで落ちます。しんどい、辛い、嫌だ、と落ちきってから、「はぁ、頑張るか」と。でも、辛いときがないとその先に希望も見えにくいのではないかとも思うんです。僕は16歳で東日本大震災を経験していることもあり、各被災地に伺う機会が多いのですが、自分の辛さを誰かと比較して「あの人に比べたら自分は辛くない」と我慢される方がすごく多い気がしていて。日本人ならではの美徳ではあるのですが、辛いことは辛いとちゃんと受け止めていいのではないかと、最近思うんですよね。
塩沼 そうですね。辛さを認めて、それを人生の栄養にするしかないんじゃないかな。
羽生 そんな気がします。逆に「私、辛くないから」と言っているうちって次に進む一歩を踏み出す力が弱いのではないか、と思えてしまって。それこそ、ありのままに、ですよね。
「辛いことはノートに書いて破る。破いた枚数分、煩悩を捨てました」(羽生結弦さん)
「辛いことは誰にも起こりうる。認めて、栄養にするしかありません」(塩沼亮潤大阿闍梨)