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藤原道長は紅葉狩りブームの火付け役? 平安貴族が愛した紅葉の名所へ

2024.10.21

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〔特集〕錦秋の京都を訪ねて イロハモミジの燃えるような赤に染まる京都の秋。平安貴族たちが競い合うように和歌や日記に残した紅葉の名所は、今も私たちに眼福を与えてくれます。人気の観光地にあっても、未だ静けさの残る奥京都へ秋の美味と令和の紅葉狩りへと皆様をご案内いたします。

・特集「錦秋の京都を訪ねて」の記事一覧はこちらから>>

平安貴族が愛した紅葉の名所へ

永観堂

【永観堂】和歌にも詠まれた圧巻の紅葉
『古今和歌集』にも詠まれ、平安時代初期から“もみじの永観堂”として知られる。お堂や回廊の目の前に迫ってくるような鮮やかな岩垣紅葉は永観堂だけの景観。住所:京都市左京区永観堂町48 TEL:075(761)0007 拝観時間:9時~17時(16時受付終了) 写真/水野克比古

藤原道長がつくった紅葉狩りブーム

権力者であり、現代風にいえばインフルエンサーだった道長は、ブームをつくる達人でした。道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき )』の長保元年(999年)九月条に記載されている紅葉狩りの記録、嵯峨嵐山への豪奢な道行きを見てみましょう。


道長も紅葉と遊覧を楽しんだ【大堰川(おおいがわ)】

道長も紅葉と遊覧を楽しんだ【大堰川(おおいがわ)】
歌枕でもある紅葉の名所。桂川の渡月橋付近に堰が設けられており、そのあたりを大堰川と呼ぶ。流れが穏やかで、平安貴族たちは嵐山の景色を眺めながら舟遊びを楽しんだ。 写真/西川貴之〈アイノア〉

記録に残る最初の紅葉狩りとは
藤原道長の紅葉狩りを辿る

紅葉狩りの最初の史料は、藤原道長や藤原行成らによるものといわれています。道長の栄華にあやかりたい平安貴族らは競って真似をしました。その紅葉狩りブームが現代まで続いているのです。

最古の紅葉狩りの記録『御堂関白記』

最古の紅葉狩りの記録『御堂関白記』
一条天皇の内覧に就任した長徳元年(995年)から治安元年(1021年)までの出来事を記録した、藤原道長の日記。自筆本が伝わる国宝。画像右端に「紅葉を見る」と記載がある。画像提供/公益財団法人 陽明文庫

【主な参加メンバー】

●藤原道長
平安時代中期の大臣。藤原兼家の五男。三帝の外戚として栄華を極めた。

●藤原行成
一条天皇の蔵人頭として活躍。三蹟の一人に数えられる。書道世尊寺流の祖。

●藤原公任
平安時代中期の公卿・歌人。才人として知られる。『和漢朗詠集』の撰者。

大河ドラマ『光る君へ』の時代考証をされている倉本一宏先生によれば、「古記録に記された行程は、まず土御門殿(つちみかどどの/道長の邸宅)の西門から出たあと、一条通を行ったでしょう。平安京を出て後の周山街道を通ると、広沢池の南に出ます。道長は馬が大好きでしたから、騎馬だったかもしれません。最初に訪れた大覚寺は門跡寺院で格が高く、建物も立派だったはずです。

次に訪れた滝殿は大沢池の北側で、名古曽の滝は廃れていたものの、池を望む風光明媚な場所でした。栖霞観(せいかかん)の跡地には現在清凉寺がありますが、当時は源融(みなもとのとおる)の別荘の名残があったでしょう。派手好みで知られる源融ですから、豪奢な建物だったと思います。さらに大堰川に到るのですが、このあたりは貴族の別荘地で、誰かの別荘を借りて宴席を設けたと考えられます」と、当時の紅葉の名所尽くしだったようです。

大沢池の水面に映る紅葉を楽しむ【旧嵯峨御所 大本山 大覚寺】

大沢池の水面に映る紅葉を楽しむ【旧嵯峨御所 大本山 大覚寺】
門跡寺院で、境内を流れていた名古曽の滝は百人一首にも詠まれた名勝。勅使門正面の勅封心経殿には、嵯峨天皇が疫病退散を願って浄書した般若心経が納められている。住所:京都市右京区嵯峨大沢町4 TEL:075(871)0071 拝観時間:9時~17時(受付は16時30分まで) 写真/今宮康博

四季折々の表情を見せる【大覚寺 もみじロード】

四季折々の表情を見せる【大覚寺 もみじロード】
大覚寺の境内は広大で、心経宝塔前の広場から名古曽の滝跡まで続く、紅葉のトンネルがある。大覚寺は、嵯峨天皇の離宮として、文化サロンの役割を担い、文化人・貴族が多く集った。写真/水野克比古

清凉寺(嵯峨釈迦堂)

かつて栖霞観があった紅葉の隠れ名所【清凉寺(嵯峨釈迦堂)】
光源氏のモデルの一人とも伝わる源融の別荘跡地にある。回廊から眺める紅葉は絵画のよう。住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 TEL:075(861)0343 拝観時間:9時~16時 写真/水野克比古

名古曽の滝跡

流れが途絶えても名勝として親しまれた【名古曽の滝跡】
「滝の音は絶えて久しくなりぬれど」と公任が詠んだように、道長の時代にはすでに廃れていた。大覚寺の境内、大沢池エリアにある。 写真提供/大覚寺

道長の紅葉狩りの宴は平安時代の持ち寄りパーティ


『権記』にある「餌袋と破子(わりご)」は弁当袋と弁当箱のようなもので、それぞれが一品ずつ、全員分を持ち寄る「一種物(いっすもの)」の宴で、稚鮎のなれずしや雉肉など贅を尽くしたものだったようです。

その後、土御門殿の馬場殿では「処々に紅葉を訪ねる」を主題に歌会を開催。そこで詠まれた左の歌の「名こそ流れて」は「滝の評判は流れ伝わり」の意味と、滝の名前「名古曽」の掛詞になっています。

道長の紅葉狩りを辿れば、平安の秋の風情が煌びやかによみがえります。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
──『小倉百人一首』 55番 藤原公任

晩年の道長がこよなく愛した宇治の紅葉

宇治川沿いに広がる紅葉と美しい清流が織りなす情景。

宇治川沿いに広がる紅葉と美しい清流が織りなす情景。写真/中田 昭〈アイノア〉

宇治川沿いの山々が美しい紅葉に染まる宇治の地は、かつて栄華を誇った平安貴族の別荘地として栄えました。

宇治川に架かる朝霧橋の袂には、『源氏物語』第51帖「浮舟」の場面をモチーフにした、小舟に乗った匂宮と浮舟の像が置かれている。

宇治川に架かる朝霧橋の袂には、『源氏物語』第51帖「浮舟」の場面をモチーフにした、小舟に乗った匂宮と浮舟の像が置かれている。写真/山梨勝弘〈アイノア〉

『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には、寛仁2年(1018年)、御年52の藤原道長が宇治の別荘地へと足を運び、舟に乗り紅葉狩りを楽しんだことが記されています。

【平等院】

藤原時代の栄華を伝える国宝建築【平等院】
世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つ。前身となる宇治殿は、『源氏物語』の「宇治十帖」に登場する夕霧の別荘のモデル。境内に植えられた約200本の紅葉が鳳凰堂を取り囲むように紅く色づく。阿字池の中島に建つ鳳凰堂は極楽浄土の宮殿を模したもの。住所:宇治市宇治蓮華116 TEL:0774(21)2861 拝観時間:庭園8時30分~17時30分(17時15分受付終了) 写真提供/平等院

「宇治殿」と名づけられた道長の別荘は、長男の藤原頼通によって受け継がれ、平等院として創建されました。真っ赤に色づく紅葉越しに眺める荘厳な鳳凰堂と浄土庭園は、まさに錦秋の極楽浄土を思わせる圧巻の光景です。

平等院と宇治川の間にある遊歩道“あじろぎの道”は、風情漂う紅葉の穴場スポット。

平等院と宇治川の間にある遊歩道“あじろぎの道”は、風情漂う紅葉の穴場スポット。

【宇治上神社】

世界遺産に登録された現存する最古の本殿【宇治上神社】
平安時代後期に創建された本殿は、鎌倉時代に建てられた拝殿とともに国宝に指定されている。平安時代に平等院の鎮守社となり、人々の崇敬を集めてきた。住所:宇治市宇治山田59 TEL:0774(21)4634 拝観時間:9時~16時20分 写真/中田 昭〈アイノア〉

平等院とともに宇治にある世界文化遺産として知られているのが、宇治上神社。本殿は、現存する日本最古の神社建築で、鳥居をくぐり本殿へと続く参道は、静謐さに満ちた宇治の隠れた紅葉名所です。

また、宇治は『源氏物語』の舞台としても有名。紫式部が紡いだ平安の雅な京都が今なおこの地に息づいています。

【宇治市源氏物語 ミュージアム】

『源氏物語』の雅な世界に入り込む【宇治市源氏物語 ミュージアム】
『源氏物語』「宇治十帖」の世界や平安貴族の暮らしなどについて、復元模型や映像を通じて紹介している。住所:宇治市宇治東内45‒26 TEL:0774(39)9300 開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで) 休館日:月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始休館 写真/中田 昭〈アイノア〉


(次回へ続く。この特集の記事一覧はこちらから>>

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