【連載】阿川佐和子のきものチンプンカンプン
形見分けとなったお母さまのきものと積極的に向き合っていくことを決意した阿川佐和子さん。“チンプンカンプン”なことばかり……と迷走しながら、歩みはじめたきものライフを、小粋なエッセイとともに連載でお届けします。
連載一覧はこちら>>>「きもの総括 きものをつなぐ」── 阿川佐和子
連載の“はじめの一歩”としてお召しいただいた思い出の泥大島。
実家から母のきものをごっそり持ち帰って二年弱。グッドなタイミングに雑誌『きものSalon』のスタッフと出会えたおかげで、チンプンカンプンなるきものの世界に一歩足を踏み入れることができた。自分で着付ける技を学ぶだけでなく、帯ときものの組み合わせの妙や、帯締めの選び方一つでガラリと雰囲気を変えられる驚きも楽しみも知った。
なにしろ最初の頃は、襦袢の常識すら頭になかったのだ。袷のきものをなんとか着付けて会食に赴いたまではよかったが、料亭にて優しい芸者さんに、
「ステキなおきもの。でも、襦袢が夏物になっていますよ」
こそっと指摘され、襦袢にも夏物と冬物があることを知った。
あるいは対談の折に思い切ってきもので出かけたら、出先のお手洗いにてお太鼓がハラリと落ちてしまったこともある。どうやら帯締めを差し込む場所を間違えていたらしい。慌ててその場にいた見知らぬ女性に助けを求める。
「すみません。ちょっと後ろを押さえていてくださいますか?」
私の慌てぶりがあまりにも惨めに見えたのか、女性は「はいはい」と応じてくださった。なんて親切な方だったのだろう。
母が残したきものの中には袷のみならず、夏物も数多くあった。単衣に加え、紗や絽や麻の上布もあり、それらを包んでいた畳紙の片隅に母の字でメモ書きが記されていた。いわく「渋谷の母(母方の祖母)から」とか「志賀夫人に頂戴した」とか「佐和子が生まれたとき買った」など、もはや七十年以上昔のことである。そんなメモを読むだけできものの出自が窺われ、たちまちその時代やそれぞれの顔が浮かんできた。見た覚えのないきものもあったが、母が好んでよく着ていた姿の蘇るものもあった。
これらを安易に処分してはバチが当たる。処分した途端、私と母との、いや、それ以前から続いている家の歴史の糸を断ち切ってしまいそうな気がした。
もちろん傷みが激しかったり虫食いが進んでいたりするものは着るのを断念せざるをえなかったが、染み抜きをすればなんとか復活させられそうなものもある。
いっぽうで、「こんな可愛らしい柄はさすがに……」とか「娘時代、伯母が手描きでつくってくれた一枚」とか、とてもこの歳では着られないとおぼしききものも数枚あったのだが、「帯を選べば着られます!」と有能編集者のカバちゃんに励まされ、カリスマ着付師イッシーの魔法の手によって、まあ、なんとカッコいい大人きものとして生き返ったことか。
おかげさまでこの連載を通してじわじわときもの愛が深まっていった。生来のケチ根性が満たされた部分もあるけれど、それ以上に、生活に密着したきもの文化の奥深さを知ることができた喜びは大きい。やや面倒な決まり事はさておいて、まずは躊躇せずに着てみる! 最低限のルールを覚え、そこから先は自由に試してみればよいではないか。
まして子供のいない私である。譲る先もさほどない。ならば死ぬ間際まで大いに楽しもう。そんな気持ちを抱いていると、「ああ、苦しい」「おお、暑い」「おっと着崩れた」などという困難をもなんとか乗り越えられそうな気分になってくる。何度も失敗し、前回よりましに着こなして、少しずつ身体に馴染ませていく。習うより慣れろ。いや、習いながら慣れましょう。その感覚が、まだじゅうぶんとは言えないが、多少なりとも身につき始めていることを実感する。
会食の予定が立つと、つい和箪笥に足が向く。
「よし、どのきものを着ていこうかしら」
洋服の並ぶクローゼットを探っていた頃とは違う、新たな楽しみが生まれた。外出着の幅が一気に広がったのである。なにしろまだ袖を通していない母のきものがたくさんあるのだから。
「あら、やっと佐和子も着るようになったのね」
和箪笥の隣の仏壇に立てかけた母の写真から、そんな声が聞こえてくるようだ。