〔特集〕心躍る、新しい銀座へ 憧れの街、銀座はかつてどのような街だったのでしょうか。昔の面影を残す場所を訪ねながら、その時代に想いを馳せてみてはいかがでしょう。
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知る人ぞ知る街の名所案内
銀座の歴史さんぽ
夏目漱石も訪れた...!?『吾輩は猫である』にも登場している名店の秘話
うなぎ料理の老舗「竹葉亭本店」は大正13年の建設当時のまま現存しています。女将の別府さんいわく「東京大空襲では火の粉をバケツリレーで鎮火していた」そう。お店を守りたいという想いが形として今に繋がっています。
お座敷席(写真、※要予約)では、要望があればお膳で料理を楽しむことも。TEL:03(3542)0789
水の都としての名残
銀座は4つの川に囲まれた街でした。写真は、大正11年に京橋川に架けられた「京橋の親柱」です。
京橋川は、江戸城の外濠から楓川・桜川までつながる約600メートルの人工の川でしたが、戦争の瓦礫を処理するために埋め立てられ、その上に高速道路が建設されました。
外濠から京橋までの河岸地には「大根河岸」と呼ばれた青物市場がありました。
銀座はここから始まりました
中央通りの歩道に、「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれた碑が建てられています。かつてはこの場所で銀貨幣を製造していました。
江戸時代は銀貨幣を造る銀座役所のことを総称して「銀座」と呼び、職人たちの住む街として賑わっていたそうです。銀座発祥の歴史を後世に伝える重要な記念碑です。
銀座最古の手動式エレベーター
昭和初期、銀座唯一といわれていた高級アパート「銀座アパートメント」は現在、アートやデザインを発信する場「奥野ビル」として生まれ変わっています。外観は変わらず、重厚感漂う雰囲気。
特にエレベーターは当時の趣が残されていて、エレベーター上部のレトロな文字盤や手動開閉式の2重のドアに心躍ります。両扉を閉めると稼働します。
銀座最古ともいわれる手動式エレベーター。インジケーターも作られた当時のデザインのまま残されています
ポツンと佇む踏切の謎
銀座の8丁目に立つ踏切をご存じでしょうか。以前はここを汐留から築地市場に、関西からの青果物などを運搬する貨物列車が通っていたそうです。東京の発展に貢献した証として「浜離宮前踏切跡」が保存されています。
(次回へ続く。
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