静謐な茶室の中で存在感を放つ茶碗
円卓を囲む樂家のご家族。左から当代夫人の亜実さん、燈馬君、吉左衞門さん、ましろちゃん、先代夫人の扶二子さん、先代直入さん。
樂焼が興った天正年間(1573~1592)、長次郎が生み出した茶碗に名前はなく「宗易形ノ茶碗」や「今焼茶碗」、「聚樂焼茶碗」と呼ばれていました。
始まりは樂焼や樂茶碗という呼び名すらありませんでした。千利休の侘茶に適う茶碗として誕生し、珍重される中でいつしか名称ができたのです。
「赤にしても黒にしても樂家にとって大切なもので、また “重たいもの” です」と吉左衞門さん。歴代がそれぞれ己と闘って赤、黒を残すとともに、各代における茶碗を造ってきたのが樂家です。
先代においては焼貫茶碗がいわばその象徴ですが、それは現代アーティストが「他人がやっていないことをやろう」と試みるのとは意味が違う、と吉左衞門さんは語ります。
先代の焼貫は侘茶や伝統を踏まえたうえで、その延長線上にあるもの。伝統から逸脱しているのではなく一歩、一歩半前に出た表現なのだ、と。先代もそうですが、当代もまたお茶の世界に根ざした歩みの中に根をおろしているのです。
では、吉左衞門さんが新たに求める茶碗とは。吉左衞門さんはその茶碗に長次郎の勃興期と同じ「今焼茶碗」と名づけました。
今焼茶碗用いている土は赤茶碗や黒茶碗と同じ薬師寺東塔基壇の土。砂分を調整し、人の手で造られてはいるものの、自然をも意識させる新たな茶碗。ざらざらとした肌をしているが、たっぷりと内側に釉薬をかけているので茶筅を傷めるようなことはない。美しさだけでなく用に適った茶碗。
「侘茶の中で茶碗がどうあるべきかを自分で捉えて歩みながら、静謐な茶室の中で存在感を放つ茶碗を造りたい」と語る当代の今焼茶碗は、赤でも黒でもないが、赤も黒も含んだ佇まいです。見た目を灰色がかっていると形容する言葉はありますが、それでは足らない独特の存在感があります。
京都市内から遠く離れた、先代直入さんのアトリエをご家族とともに訪ねた吉左衞門さん。上・今焼茶碗を前に語らう二人。下・光の陰影で表情を変える今焼茶碗。
当代の歩みとともに今焼茶碗がどう進化していくか楽しみです。
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