ペスト菌発見と感染防止対策。予防医学は時代の先を行く慧眼
香港でペストが大流行したのは1894(明治27)年のこと。ペストは当時無治療だと致死率60~90パーセントという脅威の伝染病でした。調査に派遣された北里はペスト菌の発見のみならず、その後の研究で、ネズミが宿主でその血を吸ったノミが人に感染させることも解明します。日本での流行も懸念される中、国を挙げての防疫態勢の大切さを大臣や所管省庁に説いて回り「伝染病予防法」制定に力を尽くし、感染拡大を最小限に抑えたのでした。
結核もしかりです。撲滅のためには国民の意識の向上に一斉に取り組まなければならないと1913(大正2)年「日本結核予防協会」を設立し、文字が読めなくても理解できるように、絵で解説したのが下の「結核退治絵解」です。予防するという考え方は、当時としては画期的なものだったのです。
北里柴三郎が監修した3密の元祖「結核退治絵解」
北里柴三郎記念博物館所蔵
(「結核退治絵解」より抜粋)保菌者が話す際、唾に菌があることの絵解き。
(「結核退治絵解」より抜粋)3密の一つ「密集雑居」が感染の誘因であることの絵解き。
(「結核退治絵解」より抜粋)感染したら咳や痰、くしゃみはハンカチなどで受けることの絵解き。
日本の近代医学の礎を築いた優れた門下生
伝染病研究所時代から40年近い研究生活で北里は事あるごとに「研究は道楽のためにするのではない。結果に少しでも役立つものがあったら速やかに実際に移す努力をしなければならない」と弟子たちに説き続け、それに応えるべく門下生は数々の業績を残しています。
ハブ毒の血清療法を確立した北島多一、狂犬病予防液を創製した梅野信吉、赤痢菌の発見、並びにその予防・治療法を確立した志賀 潔、梅毒の特効薬「サルバルサン」を創製した秦 佐八郎。野口英世も当時、伝染病研究所の一員で検疫所でペスト患者を発見、日本上陸を未然に防ぎました。
切蹉研鑽をもって、万一の報恩を期せんとす
人生の節目の度に大恩人に恵まれた北里の報恩はいつも桁外れでした。1908(明治41)年、夫人を伴って来日したコッホ博士を国賓級の歓迎でもてなし、73日間常に傍らにあって伊勢神宮参拝をはじめ日本各所を案内します。そして逝去の翌年にはコッホ神社を建立しました。
また福澤に対しても弔辞で「切蹉研鑽をもって万一の報恩を期せんとす」と記したとおり、没後に彼の悲願を叶えるべく義塾関係者からの依頼に応え、慶應義塾創立60年の節目の年に、医学科設立の認可を得ました。さらに初代の医学科長を無給で引き受け、その発展に尽力しました。
博物館 明治村に移築された北里研究所本館・医学館2階の研究室。
顕微鏡が置かれたのは往時を偲ばせる北里研究所医学館2階の実験台。観察には北窓からの安定した光が必須だった。1910年製ライツ社の生物顕微鏡。(博物館 明治村所蔵)
南側の廊下。顕微鏡作業には北からの光がよいと研究室は北向き、廊下が南面に配された独特の間取りに
博物館 明治村住所:愛知県犬山市内山1番地
TEL:0568(67)0314
入村料:大人2500円、高校生1500円、小・中学生700円
開村時間:9時30分~16時(土休日は~17時 最終入村は30分前)
*季節やイベント開催などにより変動あり
休村日:詳細は
HPで
(次回に続く。
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