現代に通じる抗体療法のパイオニア
北里先生の研究のどこがすごいかというと、破傷風菌の純粋培養を成功させただけでなく、そこから血清療法を確立したことです。血清療法とは今でいう抗体療法で、抗体を使って病気を治し、予防するという方法を世界で初めて開発しました。
2023年度の世界の医薬品売り上げベストテンを見ると、5つが抗体医薬であり、1位の「キイトルーダ」という抗体医薬だけで年間3兆数千億円も売れています。その大本を辿れば、北里先生の発見に行き着きます。
研究が成功して何かを発見しても、それだけでは自己満足にすぎない。その成果が人々の生活に役立って初めて意味があるという「実学」の思想が今なお生き続けているのです。
現在、医療の分野で重要な位置を占める抗体医薬を100年以上前に発見していたという先生の功績を、もっと多くの日本人に知ってもらいたいですね。北里先生こそ、本来ならノーベル賞を受賞すべき人でした。私はいつも、北里研究所において自分は北里先生に次ぐ2番目の受賞者だと心の中で密かに思っています。
北里柴三郎が1909(明治42)年に受章したドイツの星章附赤鷲第二等勲章。ほかに、フランスのレジオン・ドヌール勲章やノルウェーのサン・オラフ第二等甲級勲章も受章。
勲一等旭日大綬章。1931(昭和6)年、逝去後に受章。ちなみに、右ページの胸像の首にかけられているのは、ペスト菌発見時の41歳のときに受章した勲三等旭日中綬章。
また、北里先生は人からもらうお金を当てにするのではなく、自分たちでワクチンをつくるなどしてお金を生み、それを資金に研究所の運営をしていました。尊敬する福澤諭吉先生から学んだことでしょうが、まさに「財の独立なくして学の独立なし」です。
この点については、私自身も北里先生を見習って実践しています。私は米国留学を機に、薬の共同開発を行う海外の製薬会社とライセンス契約を結び、売り上げに応じて受け取るロイヤリティによって研究室の運営を行うという独自の手法を始めました。
1977年、財政が逼迫した北里研究所から私の研究室を閉鎖するという通達を受けた際には一晩考えて、部屋代も5人の研究員の給料も自分で出すことを提案しました。多額の特許使用料が入ってくるようになったのはもっと後のことですが、独立採算方式で10年がんばってみようと腹を決めたのです。
その頃、北里研究所が赤字だったのは、設立50周年記念でつくった大学にどんどん資産をつぎ込んでいたからです。病院はボロボロで、廊下の床が波打っているような状態でした。私は大学の教授を続けるより研究所を立て直すほうがはるかに大きな仕事だと考え、研究所の財政改革に乗り出しました。