〔特集〕心洗われる日本の名教会建築 日本中の街や家庭がクリスマス色に彩られる12月。聖夜の本来の意味に心を寄せ、教会建築を訪ねてみたいと思います。静謐で、厳か、そして祈りに満ちた聖なる空間に身を置くと、不思議と心が静まり、洗われるような気がします。災害や紛争が続き、安寧が得がたい今、心の拠り所を祈りの空間に求めます。
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五島のキリシタン殉教を伝える
旧五輪教会堂(長崎・五島)
禁教下の18世紀末に、藩主の要請もあって、外海地区から多くの潜伏キリシタンが五島に移住。信仰は密かに守り続けられました。そんな歴史を有する五島には、現在約50もの教会堂が点在します。
久賀島に1881年に建てられた「旧五輪(ごりん)教会堂」は、「大浦天主堂」に次いで日本で2番目に古い教会堂。
久賀島の玄関口である田ノ浦港から、車で険しい山道を行くこと約40分。さらに森の中を歩いて10分ほどすると視界が広がり、美しい海に向かって静かに建つ「旧五輪教会堂」が見える。
民家のような外観ですが、堂内には美しい祭壇が設けられ、天井はリブ・ヴォールト構造になっている本格的なつくりです。
国の重要文化財で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」を象徴する。潜伏キリシタンの歴史を示す物証ともいえる。
1931年に新しい教会堂(現「浜脇教会」下写真)が建設された際、現在の場所に移築。
浜脇教会
「信仰が見える形として自分たちだけの教会が欲しいと切に願ったのです」── 小島満さん
教会としての役割は1985年に終えましたが、今も信徒の小島 満さんたちが日々手入れをし、当時の姿を大切に守っています。
「ここが建てられたのは、43名の殉教者が出た『牢屋の窄(さこ)』事件から14年後。生き残った信徒たちが自らの手で造った教会堂です。貧しくても、『自分たちの教会堂が欲しい』という一心だったのだと思います。私たちにとって教会堂とは、信仰心の証であり、憩いの場であり、神との対話の場なのです。五輪地区の信徒は、現在3世帯のみになってしまいましたが、自分たちの教会をこれからも守り続けていきたいです」。
日本の大工が手がけたことがわかる、引き戸の窓。ガラスも一部当時のまま。
祭壇の聖ヨセフと幼子イエスの像も建設当時のまま。
ステンドグラス風の装飾。木枠を柄にしている。
柱などもすべて松の木を用いているのが特徴。建設当時、このあたりは日本松の産地として栄えていたという。
旧五輪教会堂住所:長崎県五島市蕨町五輪993-11
見学の際は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」 TEL 095(823)7650へ要事前連絡
(次回に続く。
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