カルチャー&ホビー

五木寛之さんが語る【こころのレシピ Vol.10】嫉妬という文字には

2025.01.10

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撮影/有乃衣里彩

嫉妬という文字には

〽男と女のあいだには ふかくて暗い河がある

故・野坂昭如が以前うたった〈黒の舟唄〉(能吉利人作詞)の一節です。

その暗い河とは一体なんなのか、そんな野暮な議論は棚にあげて、このフレーズは当時、一世を風靡したものでした。


「女子大から、やたらとお声がかかってね」

と、本人は迷惑そうな口ぶりでしたが、どこか嬉しそうな表情でした。

何十年も前に流行ったこの歌のことを、最近ふっと思い出すことがあります。

男と女のあいだの〈ふかくて暗い河〉とは、一体なんなのか。そして、それは現在、少しは埋まっているのだろうか。

心の深部にあるものとは

先日、ある文学賞の選評に、「最近、女流作家の活躍がめざましく──」と書いたところ、編集部に「女流作家」を「女性作家」と直してほしいと言われました。

とかく最近は男女間の形容詞に神経をとがらせることが多い。世をあげて男女間の差別的表現がきびしくチェックされる時代なのです。

男性と女性のあいだに差別があるのは、もちろんおかしい。憲法でも保障されているように、本来、男と女の立場は平等であるべきです。

しかし、現実はどうか。私の場合でも、頭ではわかっていながら、ついうっかり差別感が表に露呈してしまう。理性ではわかっていても、感覚というか、意識の深い部分にどうやら〈ふかくて暗い差別感覚〉がひそんでいるらしい。

そんな心の深部といいますか、根のところに厳然としてかくれている男尊女卑の感覚が、どうしても清算できないのです。

それはなぜだろう、と、長いあいだずっと考えてきました。そして最近、やっとその問題の一端が見えてきたような気がするのです。

私はもともと、学問的な解釈は苦手なタイプです。そこで、もっとも身近にある物事を考えてみますと、問題の一つは〈言葉〉にあるのでは、と考えるようになりました。

言葉と文字。

これを使わずには生きていけない重要な道具です。しかし、私たちは、そこにあるものに名前をつけると同時に、名前によって物事を認知する。

たとえば〈男尊女卑〉という言葉。

この単語の並び方自体に順番があります。〈男〉が上で〈女〉が下。

〈女卑男尊〉とは言いませんよね。

〈男女差別撤廃〉という言葉も、なぜか〈男〉が先で、〈女〉がそれにつづく。

先日、文庫本を読んでいて、〈嫉妬〉という文字に釘づけになりました。嫉妬は男にも女にも共通の感情です。いや、現実には男性社会の嫉妬のほうが、強烈ではないかと思われるくらい。それにもかかわらず〈嫉妬〉という文字には、ご丁寧に〈女偏〉が二つもついているではありませんか。

〈嫌い〉という文字もそう。

すぐに気づく範囲でこうですから、丁寧に調べてみれば無数に見出せる表現の偏りでしょう。そもそも〈男女差別〉といい〈男尊女卑〉といい、常に〈男〉が上にくるというのも変といえば変。

しかし、これを〈女男差別〉と言いかえても変。「ジョウダンでしょ」などとからかわれるのが落ちです。

言葉と感覚

読者のみなさんは、道で会った友人にはじめて配偶者を紹介するとき、夫のことをなんと呼ばれているのでしょうか。

「こちら、うちの主人でございます」とか、

「これ、うちの旦那」

とか、モダンなかたなら、

「私のハズよ」

とか、いろいろあると思うのですが、〈主人〉というのは主従関係を表すわけだし、〈旦那〉というのは本来、スポンサーのことです。〈ハズ〉なんていうのは大正時代の小説みたいですし、いまひとつ適当な言葉がみつからないのではないでしょうか。

私たちの無意識の底にある言葉。または文字。

それをごく自然に使い続ける限り、口先での男女差別の意識はなくならないと思うのです。私たちは言葉や文字を通して意識する。その意識の底に無意識の価値観が根づいている。

〈めめしい〉という言葉は、〈おおしい〉という表現と対照的に使われます。漢字で書くと〈女女しい〉。女らしさをいうとともに、いくじがない、未練がましい、といった感じの表現ですが、これが〈雄雄しい〉となると、勇ましい、けなげな、といった立派な表現になる。

古典などを読むと、その語感がよくわかります。

要するに私たちはふだん、男女差別はいけない、というたてまえで暮していても、実感としてはその逆の感覚で生きている。

〽女と男のあいだには、と、逆転させてうたったところで、どうなるものでもない気がします。言葉から変えていく道は、はたしてあるのでしょうか。
五木寛之(いつき・ひろゆき)

五木寛之(いつき・ひろゆき)

《今月の近況》
このところ長年、使いつづけてきた歯が、ガタガタになってきました。思い切って令和の大改修作業に取り組んでいるところですが、どうしても滑舌がスムーズにいきません。それにしても九十二年も、よく働いてくれたものだと感心することしきり。

この記事の掲載号

『家庭画報』2025年01月号

家庭画報 2025年01月号
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