〔特集〕心洗われる日本の名教会建築 日本中の街や家庭がクリスマス色に彩られる12月。聖夜の本来の意味に心を寄せ、教会建築を訪ねてみたいと思います。静謐で、厳か、そして祈りに満ちた聖なる空間に身を置くと、不思議と心が静まり、洗われるような気がします。災害や紛争が続き、安寧が得がたい今、心の拠り所を祈りの空間に求めます。
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圧巻のフレスコ壁画と天井画
カトリック碑文谷教会(東京・目黒)
東京・目黒区碑文谷のシンボル的存在である「カトリック碑文谷教会」。
高さ36メートルの塔最上部に鐘楼がある。
「いつ何どきも人々に開かれた、祈りの空間であるようにしたい」── ヨセフ松尾 貢神父
「本来、ギリシャ語で教会は “呼び集められた者の集い” を意味するんです」と語る主任司祭の松尾 貢神父。「いつでも人々に開かれている祈りの空間にしたい」と、毎日6時から17時まで教会の門戸を開いています。
浦上出身の松尾神父。先祖が最初に洗礼を受けたのは豊臣秀吉の時代、公立小学校時代のクラスメイトの半分はクリスチャンだったという。「碑文谷教会は地域に根づいた日曜学校、中高生会、青年会の活動が活発なのが魅力。教会のグラウンドで練習して自転車に乗れるようになった子どもたちが、どれほどいることでしょう」と微笑む。
1954年落成の聖堂は、イタリア・ヴェローナのサンゼノ大聖堂を模してロマネスク様式で造られました。祭壇内部から聖堂後方を彩る壁画と天井画は、1955年から7年をかけてジャコモ・フェラーリ修道士が描いた傑作です。
聖堂の横入り口正面に飾られているのは《悲しみの聖母》。
カルロ・ドルチ作《悲しみの聖母(親指のマリア)》のレプリカ。原画は東京国立博物館所蔵。
原品は江戸時代最後の潜入バテレンとして渡来し、のちに江戸キリシタン屋敷で殉教したジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ神父所有の銅版画でした。東京国立博物館所蔵のキリシタン遺物から発見されたのが、聖堂完成直前の時期だったお導きもあり、「江戸のサンタマリア」と名づけられたこの聖母画に、碑文谷教会は捧げられたのです。
主祭壇の左右を飾るステンドグラス。右は聖フランシスコ・ザビエル。左は1865年3月17日、迫害下も信仰を守り継いできた浦上村のキリシタン十数名が長崎・大浦天主堂を訪れ、ベルナール・プティジャン神父に信仰を告白した「信徒発見」のシーン。
パイプオルガン。
サレジオ会が碑文谷の地に幼稚園と教会を建ててから約75年。一人訪れ祈る信徒、教会のグラウンドで遊ぶ親子連れの姿に、真に開かれた理想の教会を目の当たりにしました。
カトリック碑文谷教会(目黒サレジオ教会)住所:東京都目黒区碑文谷1-26-24
TEL:03(3713)7624
ミサ時間:平日7時~
日曜7時~ /10時30分~ /18時~
(次回に続く。
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