アルビオンアート・コレクション 美と感動の世界 比類なきジュエリーを求めて 第1回 歴史的ジュエリーの世界的なコレクターである有川一三氏の「アルビオンアート・コレクション」。宝飾史研究家の山口 遼さんの視点でお届けした
2023年の連載がさらにパワーアップし、今号から、さらなる宝飾芸術の極みを深掘りしてご紹介します。第1回は、マルタ十字架の凄みをご覧ください。
表と裏の重なりに職人の執念を感じる
キリスト教のシンボルともいえる十字架は、ジュエリーのデザインとして、広く、特に中世の始まりの頃から近世以前の間のジュエリーに使われています。もともとは地中海沿岸などで、罪人の磔刑に使われる道具でしたが、キリストが十字架の上で磔刑に処されてから数百年経った5世紀頃から、人類救済の祭壇の意味を含めて、シンボルとして扱われるようになります。キリスト教が広まるにつれ、色々な土地で独特の十字架が生まれました。
エジプト、ロシア、ケルトなどが有名ですが、ここに掲げるのはマルタ十字架と呼ばれ、地中海に浮かぶマルタ島で使われたものです。マルタ島は今でこそ独立国となっていますが、その長い歴史のほとんどを、諸大国の領土として、持ち主を変えてきました。持ち主はロードス騎士団、ヨハネ騎士団などと名前を変えながら各地を転戦し、1530年にマルタ島を与えられてマルタ騎士団と名前を変え、この島にとどまってきました。彼らが用いた十字架は、4本の縦横の腕が同じ長さで、腕の先端に深い切り込みがあり、左右の突起が腕に2個ずつ、合計で8個あります。十字架の中でも、もっともユニークなデザインです。
Vol.1
マルタ十字ペンダント
素材:ゴールド、シルバー、ダイヤモンド、エナメル
製作年:17世紀頃
製作国:フランスもしくはスペイン
これはペンダントですが、その作りがただ事ではありません。マルタ騎士団の中心人物はグランドマスターと呼ばれますが、この作品はおそらく、グランドマスターの家かその家系の人物が使ったものでしょう。表のほうは金の台座にダイヤモンドをびっしりとセットしてありますが、カットが極めてユニークです。四十数個のローズカットを除けば、中心となるダイヤモンドは34個、すべて四角形あるいは長方形のテーブルカット。テーブル面が大きく、光を強く反射します。この様な使い方は、ほとんど例がありません。ダイヤモンドはすべてインドのゴルコンダのものでしょう。素晴らしい透明感があります。
17世紀
マルタ騎士団総長のダイヤモンドクロスマルタ騎士団は正式名称をロードス及びマルタのエルサレム聖ヨハネ主権軍事救護騎士団修道会という。初代総長ブレスト・ジェラール・トゥムから始まり、過去1000年間にわたり81人が総長を継承している。画家のカラヴァッジオは2度にわたり総長の肖像画を描いていることでも知られる。
左・《福音ジェラール》のフレスコ画(マルタ宮殿蔵)。右・カラヴァッジオ作《マルタの騎士の肖像》(パラティーナ美術館蔵)。
裏面がまた凄い。銀の板の上に、4色のエナメルで花模様を描いたパーツを、4本の腕の裏面に当たる部分の間に挟み、十字の裏面にぼってりとした極めて厚く丸みのある不透明の白色のエナメルを盛り上げています。エナメルの状態も完全で、この作品が実際にはほとんど使われなかったことを示しています。
少し専門的な話になりますが、一つのジュエリーに宝石とエナメルを一緒に使って作る場合、問題が起きます。宝石をセットしてからエナメルを焼くと、石によっては石が燃えてしまうことがあるのです。ですので、多くの場合、エナメルを焼いてから宝石をセットするのですが、エナメルの表面というのはガラス質ですから、擦り傷がつきかねない。この十字架を作った職人は、そこを真剣に考えたのだと思います。このジュエリーの表裏、金と銀のふたつの面はまったく別々に作られて、最後に小さなねじで重ね合わせてあるのです。職人の、一ミリも狂いのない執念ともいえる作り込みには、完全に脱帽です。アルビオンアートには多くの十字架のジュエリーがありますが、これほどユニークで、完全な状態のものはありません。思わず息をのむ、凄みのある輝きです。
(次回へ続く)
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